『レ・ソワレ・ドゥ・パリ』誌
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「ギヨーム・アポリネール」の記事における「『レ・ソワレ・ドゥ・パリ』誌」の解説
こうしたアポリネールを励まし支援するために、彼の古くからの友人であるアンドレ・ビリー(フランス語版)、ルネ・ダリーズ、アンドレ・サルモン、アンドレ・チュデスク が新しい活動の場として1912年2月、月刊美術・文学雑誌『レ・ソワレ・ドゥ・パリ』を創刊した。経済的な理由により、1913年6月の第17号でいったん終刊となり、同年11月にアポリネールが編集長となって再刊された。このため、第17号までを第一シリーズ、これ以後、第一次大戦が勃発した1914年の8月の最終号までを第二シリーズとしている。第一シリーズの寄稿者はジャック・ディソール(フランス語版)、フランシス・カルコ(フランス語版)、ジャン・ポーランらを含む多彩な顔ぶれだが、第二シリーズはむしろ芸術評論誌として重要な役割を担うことになり、アポリネールが後に「カリグラム」と名付ける「絵画詩」を同誌に発表することになるのも、このような文脈においてである。また、本誌掲載の「ミラボー橋」、「地帯」、「クロチルド」、「アンニー」、「狩の角笛」、「マリー」などは1913年刊行の代表作『アルコール』に収められ、美術評論は『キュビスムの画家たち』として同じく1913年に刊行されることになる。詩集の書名は、当初は『蒸留酒』する予定であったが、最終的にはより奇抜な『アルコール』とした。
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