『キャベツ畑の妖精』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 23:37 UTC 版)
「アリス・ギイ」の記事における「『キャベツ畑の妖精』」の解説
アリスの自伝によると、1896年にゴーモン社はフィルムの現像と焼き付けのための研究所を作り、そこのスタッフたちが自社の開発したカメラのデモンストレーションのために、軍隊の行進や駅に到着する列車などの実写映画を撮影していたが、アリスは子供の頃からたくさんの本を読み、アマチュア演劇もしていた経験から、もっと筋立てのある作品を作ることができると確信し、ゴーモンを説得したという。自伝で言うには「若さ、未熟さ、女性であること、そんなすべてが私の力」となり、ゴーモンから「秘書としての仕事の妨げにならないこと」という条件付きで撮影する許可を取り付けた。そしてアリスは、同年に友人やカメラマンのアナトール・ティベルヴィルとともに、研究所のそばにあった壊れたテラスをスタジオ代わりにして『キャベツ畑の妖精(La Fée aux choux)』を撮影した。赤ん坊はキャベツ畑から買ってくるというフランスの古い言い伝えに触発されたこの作品は、妖精が畑のキャベツから次々と赤ちゃんをとり上げるという内容で、アリス曰く作品は成功を収めたという。 アリスは自伝で『キャベツ畑の妖精』を自身の最初の監督作品であると述べており、多くの映画史家はこの主張に従って、この作品を1896年に撮影されたものであると認め、アリスを最初に物語映画を作った映画監督のひとりと見なしている。しかし、一部の映画史家はこの作品が1896年に作られたとすることに異議を唱えている。フランシス・ラサカンは、1901年発行のゴーモン社のカタログには、この作品が『キャベツ畑の妖精 または赤ん坊の誕生(La Fée aux choux, ou la naissance des enfants)』のタイトルで、1900年の作品として記載されていることを根拠にして、1900年9月頃に撮影されたと主張している。一方で別の映画史家は、作品カタログの情報が必ずしも正確ではないことを主張している。アリソン・マクマハンは、アリスの主張が正しい場合、1896年版はドゥメニのクロノフォトグラフを使用して60ミリフィルムで撮影された可能性が高いとし、35ミリフィルムによる1900年版とは異なるバージョンであると述べている。映画史家によるさまざまな主張により、この作品の製作年をめぐる議論は今日まではっきりと解明されてはいない。また、アリスは1902年にこの作品をリメイクした『第一級の産婆(Sage-femme de première classe)』を発表している。
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