「Runner」のヒット
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「爆風スランプ」の記事における「「Runner」のヒット」の解説
バンド活動に限界が見え始めてきたことから、1986年にプロデューサーとして新田一郎を迎え、新田が社長を務める代官山プロダクションに移籍。新田は先ず、売れることを目的とした活動を始めることにしたが、江川ほーじんが反発、脱退を決意。末吉の作った曲に、辞めていく江川の姿を中野が詞にして「Runner」が誕生、1988年に発表され34万枚を売上。ロングヒットとなる。 NHK総合の音楽番組『ジャストポップアップ』にて演奏、番組の元にリクエストが殺到。これがきっかけで、1988年の『第39回NHK紅白歌合戦』に出場、翌年(1989年)1月9日の2度目の武道館公演を行った。江川はこの公演を最後に脱退。当初の予定は1月7.8.9日の3日間公演であったが、昭和天皇崩御により7・8日の公演を自粛。 『天才・たけしの元気が出るテレビ』の挿入歌に使用された「Runner」は、初のビッグヒットとなった。カラオケでもノリのいい曲として脚光を浴び、また現在でも高校野球のブラスバンドの応援歌における定番曲としても定着する。 江川脱退後、ベーシスト不在期間のテレビ出演に際しては、現在同じアミューズ所属サザンオールスターズの関口和之、古くから親交がある聖飢魔IIのゼノン石川、THE ALFEEの桜井賢、SHOW-YAの仙波さとみ、プリンセス プリンセスの渡辺敦子、男闘呼組の高橋一也、スターダストレビューの柿沼清史、カシオペアのキーボーディスト向谷実(シンセベースを演奏)、千葉のローカルタレント、ジャガーなど数多のベーシスト・ミュージシャンが代役を務めた。その後、兄弟バンド的な存在だったTOPSのベーシストだった和佐田達彦(バーベQ和佐田)が正式メンバーとして加わった。爆風スランプとしてのメンバーチェンジはこの時のみ。 同時期に活躍した聖飢魔IIやTOPSとは親交が深かったこともあり、共同でライブを行なったり、TOPSボーカルの三井雅弘は1989年の大幅なメンバーチェンジの時に、爆風スランプのマネージャーに就いた。プリンセス プリンセスとは、中野が住んでいたアパートに彼女たちのプロデューサーが住んでいたこともあり、よく一緒に酒を飲み、この時、「私達、本当に売れたいんです。」と中野に話していたという。
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