「100%ルノー」として復帰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 19:17 UTC 版)
「ルノーF1」の記事における「「100%ルノー」として復帰」の解説
その後2000年3月15日に、かつてエンジン供給を行っていたイタリアのファッションブランドであるベネトン社が所有していたベネトンF1チームを買収するかたちでコンストラクターとしてのF1復帰を発表。当初は2002年シーズンを目標に新規参入を計画していたが、1年前倒しで1200万ドルで買収し参入をはたした。2001年はコンストラクター登録期限の関係で「ベネトン・ルノー」として参戦。2002年に「マイルドセブン・ルノーF1チーム」として17年ぶりにコンストラクターとして復帰した。この際に、2005年までにコンストラクター部門でのタイトルを獲得するという目標を掲げた。 ルノーによるワークスエンジン供給を打ち切られた後には一時低迷していたベネトンチームであったが、ルノーとなってからは次第に競争力を取り戻し、ベネトン時代にチームをチャンピオンに導いたイタリア人指揮官のフラビオ・ブリアトーレの下、マクラーレン、フェラーリ、ウィリアムズなどに並び、F1を代表する強豪チームの一角に返り咲いた。 技術部門はテクニカルディレクターであるマイク・ガスコインの指揮下、ふたつのデザインチームが交互に開発を担当するローテーション制を導入。Vバンク角111度という低重心型のエンジンを投入し、ミシュランタイヤに特化した車両開発を進めた。2003年にはフェルナンド・アロンソがハンガリーGPで初優勝し、ルノーのフルワークスチームとして1983年以来の勝利を獲得した。2004年にはヤルノ・トゥルーリのドライブにより、ルノーチームにとって念願のモナコGP優勝を果たした(ルノーエンジンとしては1995年以来9年ぶりのモナコGP優勝)。
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