「蛮族」の侵入と衰退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/08 03:58 UTC 版)
「ボスポロス王国」の記事における「「蛮族」の侵入と衰退」の解説
3世紀に入るとボスポロス王国は相次ぐ外敵の侵入に曝された。255年以降、ゲルマン人の一派ゴート族の攻撃を受け、4世紀にはフン族の侵入を受けてボスポロス王国の領土はその大半が失われた。同王国が発行したコインは4世紀半ばを最後に確認されなくなり、その衰微は考古学的にも明らかである。ただし僅かに残存する史料から、その後もなおボスポロス王国が存続していたことは確認されているが、フン族の支配権下にあったと推測されている。 6世紀に入ると東ローマ帝国の皇帝ユスティニアヌス1世によって、パンティカパイオンにかろうじて存続していた王国は東ローマの統制下に入った。だが、この時期以降のボスポロス王国の歴史はほとんど知られていない。クリミア半島のケルソンは東ローマ帝国の都市としてその後も年代記などに登場しており、このケルソンを中心とするクリミア半島南部沿岸地域には7-8世紀頃には「ケルソン・アルコン管区」という軍事行政区画が置かれ、9世紀頃にはテマに昇格して「テマ・ケルソン」となり11世紀のテマの記録にも記載されているが、ボスポロス王国との連続性は明らかでない。
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