「葺石」の用語のはじまり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 10:53 UTC 版)
1915年(大正4年)、宮崎県児湯郡(現西都市)の西都原古墳群のうち、第21号塚の発掘調査をおこなった今西龍は、その調査報告書のなかで「表面の葺石」の項目を設け、前方部の平面図と断面図に葺石分布の状態を記述している。 「葺石」の語が考古学用語として定着したのは、1922年(大正11年)の高橋健自による『古墳と上代文化』によるところが大きい。そのなかで高橋は、畿内の古墳における実例を紹介しながら、葺石を「実用と装飾とを兼ねたもの」と説明している。「実用」に関して高橋は「封土をそのままにして置けば風雨の為に流出し、寒気の為に剥離する憂があるから、礫石を以て之を保護」しようとしたもの、また、「装飾」に関しては「墳丘に美観を添える為」であり「墳丘を営むことは既に地上に目標を設けたのである。果たした然らば衆目を惹くべく顕著ならしめ、来詣者をして敬虔の念を起さしむべく荘厳ならしめる」目的で造られたものと指摘している。
※この「「葺石」の用語のはじまり」の解説は、「葺石」の解説の一部です。
「「葺石」の用語のはじまり」を含む「葺石」の記事については、「葺石」の概要を参照ください。
- 「葺石」の用語のはじまりのページへのリンク