「自由と先進の集まり」の結成と解散
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 04:07 UTC 版)
「先進統一党」の記事における「「自由と先進の集まり」の結成と解散」の解説
第18代国会開催を目前にした、2008年5月23日に創造韓国党の文国現代表と李会昌総裁が国会内で会合を持ち、「先進党と創造韓国党は大運河阻止、権益主権と国民の健康権確保が前提の米国産牛肉輸入、中小企業活性化を目指し共同努力することで意をまとめ、交渉団体を共同構成することにした」と合意文を発表し、両党で院内交渉団体を構成することに合意した。先進党は両党の統合も模索したが、創造韓国党側は難色を示した。「正統保守」を自認する先進党と、「創造的な進歩」(中道左派)を模索する創造韓国党が、院内交渉団体を構成するために手を組んだことに対して原則の無い離合集散との批判もあったが8月6日、先進党と創造韓国党は共同院内交渉団体構成に正式合意し、「先進と創造の集まり」を旗揚げすることになった。 しかし2009年に、忠清南道元知事で同地域に強い地盤を有する沈大平代表が8月30日に李会昌総裁の党運営に対する不満を理由として先進党を離党し、9月1日に交渉団体脱退書を国会事務所に提出したことで、院内交渉団体を構成するために必要な20議席に達しなくなったため、「自由と先進の集い」は交渉団体の地位を失った。沈代表の離党で先進党は結党以来最大の危機を迎えることになり、来年行われる統一地方選挙の行方にも大きな影響を与えることも予想された。その後、沈氏は新たに新党「国民中心連合」(国民連)を2010年3月に結成した。
※この「「自由と先進の集まり」の結成と解散」の解説は、「先進統一党」の解説の一部です。
「「自由と先進の集まり」の結成と解散」を含む「先進統一党」の記事については、「先進統一党」の概要を参照ください。
- 「自由と先進の集まり」の結成と解散のページへのリンク