「直接軍政」から「間接統治」へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 06:19 UTC 版)
「岡崎勝男」の記事における「「直接軍政」から「間接統治」へ」の解説
ミズーリ号艦上での式典が終わって数時間後の午後4時過ぎ、終戦連絡委員会の鈴木九萬公使はGHQのマーシャル参謀次長より、翌9月3日に告示する予定の「三布告」について告げられた。その内容は以下の通りで、完全な直接軍政である。 一切の政府の権能を連合国最高司令官(SCAP)の権力の下に置き、英語を公用語とすること SCAP命令への違反者は「占領軍裁判官」が処刑する権利を持つこと 占領軍の発行するB軍票を通貨として認めること 知らせを受けた外務省はすぐに岡崎を横浜のホテルニューグランド(占領当初のGHQは現在の横浜税関に置かれた)に派遣し、2日深夜マーシャルに面会の上三布告の公布差し止めを要請、同意取り付けに成功した。翌日には重光外相とマッカーサーの会見により、間接統治の方向で妥結をみた。しかし、三布告を撤回させられたGHQは岡崎を公職追放としてしまう。
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