「悪法もまた法なり」という解釈
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 21:40 UTC 版)
「クリトン」の記事における「「悪法もまた法なり」という解釈」の解説
本篇『クリトン』の内容は、短絡的・通俗的な解釈として、「ソクラテスは「悪法も法である」として不正な裁判結果を受け入れ、脱獄を拒否した」等と説明される(されてきた)ことが一部である。 しかし、そもそも、ソクラテスに不当(不正)な死刑判決を下したのは、民衆裁判の裁判官(陪審員)たちであり(しかも、クセノポンの『ソクラテスの弁明』によれば、それは法律で死刑に定められている「4つの重犯罪」とは関係無い罪(涜神罪)として下された、「不法な死刑判決」でもあった)、法律が直接「不正」の批判対象とはなっているわけでもなく、「悪法」呼ばわりされているわけでもないという点で、上記の解釈・表現は端的に的外れ・誤りである。 また、ソクラテスが、そのような「不当(不正)な死刑判決」にあえて従った理由は、本篇内では、「魂が不正によって害される」ことで、「生き甲斐を無くして」しまったり、「死後の冥府で罰を受ける」ようなことが無いように、「善く/正しく/美しく生きる」ため、そしてそのために「不正を行わない」「不正に対して、不正を以て報復/対応しない」という考えを優先した結果(つまりは、国家・世俗の法を尊重したというよりは、自然法・倫理を優先した結果)であることが、明快に説明されており、この点からも、上記のような解釈は的外れである。 ちなみに、この「「魂を善く/正しく/美しくする」「善く/正しく/美しくある (生きる)」ことを、何よりも(命よりも)優先する」という発想は、プラトンの思想の根幹を成しており、全ての対話篇の共通したモチーフでもあるが、特に『ゴルギアス』や『国家』といった政治論が述べられる対話篇で、強調的に反復される。
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