「安全への逃避」撮影時とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/29 15:50 UTC 版)
「沢田教一」の記事における「「安全への逃避」撮影時とその後」の解説
撮影の翌年、沢田は撮影地を再訪し「幸せに」との言葉を添えた受賞した写真と、賞金30万円のなかから6万円を家族に渡したことが伝えられている。1996年公開のドキュメンタリー映画「SAWADA」でも被写体となった2家族5人との交流について触れている。 2017年4月、日本経済新聞社は当時8歳の少女だったグエン・ティ・キム・リエンのインタビュー動画と記事を公開した。当時、朝食の準備をしていると自宅近くでナパーム弾の爆撃が始まり、家族や近所の人々とともに川に飛び込んだところ、撮影していた沢田に助けられた。周辺にいた米兵の一部は銃を向けていたが、発砲はされなかった。沢田はその後も村を何度か訪れて子供たちにケーキを配り、死亡の知らせが伝わると村中が悲しんだという。同年8月には当時2歳だったグエン・ティ・フエが訪日し、東京日本橋高島屋での写真展開会式に沢田夫人サタとともに出席し、母から聞いたという、沢田がハンカチで涙を拭いてくれたエピソードが語られた。写真展会場では会期中フエのインタビューが流された。
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