「デーン人の国」とは? わかりやすく解説

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「デーン人の国」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 08:22 UTC 版)

デンマークの歴史」の記事における「「デーン人の国」」の解説

デンマーク国名は、「デーン人の国」という意味であり、「デーン人」とはユラン半島ユトランド半島)のノルマン人のことである。イングランドアイルランドでは、現在のデンマーク方面からやって来るノルマン人を「デーン人」と呼称した。ただし、この時代における「デーン人」の概念を、現在のデンマーク人同一のものと考えてならないこの段階では、「デンマーク君主統率下にある人々」という程度にすぎない一例挙げれば、この時代スカンディナヴィア半島からユトランド半島にやってきてデンマーク王従えばデーン人」である。決して、「スウェーデン人傭兵や「ノルウェー人傭兵ではない)。この時代においては民族としてのデンマーク人」、「スウェーデン人」、「ノルウェー人」は確立しておらず、「デーン人」は必ずしも民族共同体意味しておらず、いわば緩やかな政治的共同体だったのである。 『フランク王国年代記』などには、デーン人領域は今のデンマーク王国より広大であった記されており、遺跡の発掘調査からもこれを裏付ける遺構・遺物検出される出土品共通性などから、当時デーン人少なくとも4つ部族から構成されいたもの推測されている。いずれも便宜上、現在での地名で記す。 スコーネ(含マルメルンド)、東シェラン(含コペンハーゲン) 西シェラン、フュン(含オーデンセ)、スレースヴィ 中部ユラン(含オーフス北部ユラン(含オールボー)、東部ノルウェー(含オスロデーン人文化圏思われる地域現在のデンマークシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州南部西部スウェーデン東部ノルウェーというかなり広大な地域広がっており、かなりの勢威振るっていたことがうかがわれるまた、陸続きよりも「海続き」の方が交通量物流量が多く、その頻度が密であったことを確認することができ、デーン人あらため海洋民族であることが確かめられた。

※この「「デーン人の国」」の解説は、「デンマークの歴史」の解説の一部です。
「「デーン人の国」」を含む「デンマークの歴史」の記事については、「デンマークの歴史」の概要を参照ください。

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