「ソウルの春」終息
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/21 10:10 UTC 版)
民主化運動が活発化する一方で、朴正熙前大統領の寵愛を受けていた全斗煥や盧泰愚を中心とする新軍部勢力は政治への関与の動きを公然化させた。4月14日、當時保安司令官であった全斗煥が中央情報部部長代理に就任し、民主化勢力に大きな衝撃を与えた。一方で学生デモが学園から街頭へと拡大し、労働運動も炭鉱労働者による舎北事件の発生など過激化するようになると、社会には不安な空気が醸し出された。 こうした中、与野党は5月12日、5月20日に臨時国会を召集し、10・26事件以降続いてきた戒厳令の解除を決議することで一致、金泳三・金大中・金鍾泌の「三金」も民主化推進で共同歩調を採った。これに危機感を抱いた新軍部は、5月17日午前に全軍主要指揮官会議を招集し、事態の悪化を避けるため断固とした措置(戒厳令全国拡大)を取ることを決議、軍の政治への関与を明らかにした。そして同日夜の臨時国務会議で、戒厳令の全国拡大(それまで済州道は対象外であった)を決議させた。これにより全ての政治活動は禁止され、全国の大学は休校措置が採られた。同時に金大中を戒厳令布告違反で逮捕、続いて金鍾泌や李厚洛(元中央情報部部長)、朴鐘圭(元大統領警護室室長)など朴政権の主要政治家を不正蓄財容疑で逮捕した。また学生運動や労働運動の指導部、民主化運動の中心人物も逮捕された。こうして新軍部勢力が事実上、権力を掌握したことで、ソウルの春は終息した。
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