「ジュニアを救え キャンペーン」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/04 23:41 UTC 版)
「IBM PCjr」の記事における「「ジュニアを救え キャンペーン」」の解説
1984年半ば、割引にかかわらず販売は低迷し、販売店はパニックに陥っていた。IBMは販売店に在庫の支払いを180日延期し 、7月に顧客のチクレットキーボードを従来のタイプライター・キーボードに無償交換した。各紙は新しいキーボードに注目し、IBMの対応は優れた顧客サービスと評価した。IBMの当初の販売予測は最初の半年で25万~48万台だったが、新しいキーボードを交換できたのは6万台であった。IBMはPCjrの定価を下げ、同価格のApple IIeとIIcよりも優れていると思われる999ドルのパッケージを提供し、512KBへの新しいIBM製メモリ拡張オプションを発表した。IBMは、IBMの歴史の中でも最大のキャンペーンを開始し、多数の広告、3つの同梱ソフトウェアの推進、1000万以上のダイレクトメールを展開する一方で、PCjrの位置付けを家庭用から変更してPC互換性を強化した。広告では、新価格、新キーボード、標準128KBメモリと拡張スロット、PCjr用のLotus 1-2-3、「IBM PC用の人気の1000以上のソフトウェアが稼働」などがリストされた。販売店には500ドルの販売促進費が渡された。 このキャンペーンは観察者によって「ジュニアを救え キャンペーン」(英語: Save-the-Junior campaign)と呼ばれ、広範な懐疑論にもかかわらず一定の成果を上げ、いくつかの販売店ではApple IIeやIIcを抜いてPCjrが最も売れ行きの良いコンピュータとなった。
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