「イデア論」に関する難点
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 23:21 UTC 版)
「パルメニデス (対話篇)」の記事における「「イデア論」に関する難点」の解説
そしてパルメニデスは改めて、ソクラテスは「形相」なるものがそれ自体で独立に存在していて、それ以外のものはその「形相」を分取することで、その性質を帯びると主張しているのか確認する。ソクラテスは同意する。 するとパルメニデスは、以下のように「イデア論」の難点を指摘していく。 「全体」と「部分」 - 分取されるのは「形相」の「全体」なのか「部分」なのか。「全体」が分取されるとしたら、「形相」は際限無く複製されてしまうことになるし、「部分」が分取されるとしたら、それはもう内容が変質したものになってしまう。 「包含」と「再生成」 - 様々なものの共通性の「抽象化」として「形相」を説明する場合、その「形相」を包含した(組み込んだ)形での「(再)抽象化」によって別の新たな「形相」を生み出すことができ、どこまでも「再生成」が止まらなくなる。 「観念」と「対象」 - 「形相」を心の中の観念と説明しようとしても、観念はその志向のあて先があって生じるものであり、その対象こそが本質とみなす必要がある。また観念が「形相」だと、それを分有することで成り立つものも観念ということになってしまう。 「類似」と「分裂」 - 「形相」を「類似物」を生み出す「原型」として説明すると、「形相」と「類似物」の類似性(共通性)からまた別の「形相」が生じてしまうことになる。 「区別」と「不可知」 - 「形相」を他の存在物とは区別された「それ自体」として存在しているものと説明すると、そのようなものは現実(この世界)には存在しないので、「不可知」なものとみなされても仕方ない。 「本質」と「関係性」 - その本質的特徴が「関係性」によって成立しているものは、それを説明するのに「形相」の分有など必要としないし、むしろかえって邪魔となる。 「知識」と「不可知」 - 「形相」がそれ自体として存在し、人間の所有するところとならないということは、「形相」としての「知識」も「不可知」ということになる。 「神」と「分断」 - 仮に「形相」としての「知識」を分有するものがいるとすればそれは「神」以外あり得ないが、そうするとこれまでの議論から、「神」と「人間」は互いに対して「知識」も「影響力」も持ち得ない「分断」された関係となってしまう。 パルメニデスは、「イデア論」に関しては、他にも多くの難点を挙げることができるし、それゆえ人々は「イデア論」を聞かされても、「形相」など存在しないか、仮に存在しても不可知なものであると異論を立てることになるし、それを説得するのは難しいこと、そしてそんな彼らを説得するには、「形相」を自ら充分に学び知り、他人にも充分に教授できる優れた人物が現れるのを待つ他ないと指摘する。ソクラテスも同意する。 しかし他方でパルメニデスは、反対に「形相」のようなものを認めないとしたら、それはそれで自分の考えを向ける先が分からなくなり、問答による討議の効力も失わせることになるだろうと指摘する。ソクラテスも同意する。
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