「ゆぅトピア」の登場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 09:47 UTC 版)
電車と気動車の総括制御が再び脚光を浴びたのは、1986年(昭和61年)12月27日に運行を開始した、大阪駅から東海道本線・湖西線・北陸本線を経由して当時非電化であった七尾線へ直通する特急列車「ゆぅトピア和倉」の運転の際である。 当時の国鉄金沢鉄道管理局が、七尾線の活性化・増収施策に取り組む中で、大阪 - 和倉温泉間の直通列車を運転することになった。検討期間や製作期間が短く、大きなシステムの変更や線路など設備改修が必要でなく、エル特急「雷鳥」並みの所要時間になることから、485系電車の後ろにキハ65形気動車改造のジョイフルトレイン「ゆぅトピア」を連結する形を採用した。 このケースでは、気動車が電車の後部に無動力で牽引され、ブレーキのみを協調制御し、サービス用電源は自車で供給、走行用機関は原則停止状態で大阪 - 金沢間を運行し、金沢 - 和倉温泉間は自力走行で運転されていた。この列車は、七尾線の電化開業にともない、1991年(平成3年)8月31日で運転を終了している。
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