「ある愛の詩」と私生活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 17:09 UTC 版)
「ライアン・オニール」の記事における「「ある愛の詩」と私生活」の解説
1960年代を代表する二枚目俳優として活躍の場を見出したオニールだったが、その女性遍歴もキャリアに負けず目を見張るものであった。出世作である『ペイトン・プレイス物語』で共演したバーバラ・パーキンスと浮名を流したのを皮切りに、最初の妻ジョアンナと離婚。1967年には、やはり共演者リー・テイラー=ヤングと再婚したものの、離婚に至っている。こうした私生活のゴシップの間で主演した『ある愛の詩』が大ヒット。公開当時、日本でもテーマ音楽が信号待ちの間に街頭で流れるなど、作品の人気が後押しをしてかオニールの存在は世界にも知られるようになった。 この後は、一転してシリアス路線からコミカルな役柄に活路を見出した他、1973年の『ペーパー・ムーン』では、はじめて娘のテイタムと初共演。彼女はこの作品でアカデミー助演女優賞を受賞している。ちなみにテイタムが演じたアディ役はジョディ・フォスターに引き継がれTVシリーズ化もされた。 この他、1975年には鬼才スタンリー・キューブリック監督が重厚な人間ドラマを演出した大河ドラマ的な異色作『バリー・リンドン』に主演。続く78年には「ある愛の詩」の続編が製作されるなど、1970年代は俳優としては作品にも恵まれ絶頂期にあったが、反面、これに驕るような言動や態度が周囲にも知られる他、多くのトラブルを私生活で巻き起こし対立の火種を生むなど、問題行動も取りざたされた。
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