しゅく‐ゆう【祝融】
祝融
祝融
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/28 22:44 UTC 版)
- ^ a b "しゅくゆう 祝融". 大日本国語辞典. Vol. 3 (修訂版 ed.). 東京: 富山房. 8 May 1940 [1915]. pp. 259–260. doi:10.11501/1870670. NDLJP:1870670/134。
- ^ a b 「炎帝之妻,赤水之子聽訞生炎居,炎居生節竝,節竝生戲器,戲器生祝融,祝融降處於江水,生共工。共工生術器,術器首方顚,是復土穰,以處江水。共工生后土,后土生噎鳴,噎鳴生歳十有二。洪水滔天。鯀竊帝之息壤以堙洪水,不待帝命。帝令祝融殺鯀于羽郊」s:zh:山海經/海內經
- ^ 「火神也」s:zh:山海經_(四庫全書本)/卷06
- ^ a b 袁珂 (1 March 1999). "祝融". 中国神話・伝説大事典. Translated by 鈴木, 博. 大修館書店. pp. 312–313. ISBN 978-4-469-01261-3。(項見出しp312)
- ^ 「南方祝融,獸身人面,乘兩龍」s:zh:山海經/海外南經
- ^ 「當其末年也,諸侯有共工氏,任智刑以強霸而不王,以水乘木,乃與祝融戰,不勝而怒。乃頭觸不周山崩,天柱折,地維𡙇」s:zh:三皇本紀
- ^ 原文は次の通り。「夏德大亂,往攻之,予必使汝大堪之。予既受命於天,天命融隆火於夏之城間西北之隅」s:zh:墨子/非攻下 湯王が夏の乱れを正すための放伐を天から求めている場面であり、この「隆」を「降」と読んでいる。
- ^ 「重黎爲帝嚳髙辛居火正,甚有功,能光融天下,帝嚳命曰祝融。共工氏作亂,帝嚳使重黎誅之而不盡。帝乃以庚寅日誅重黎,而以其弟呉回爲重黎後,復居火正,爲祝融」s:zh:史記/卷040#楚先祖
- ^ 「女皇命じて祝融を召して康回を征す」『通俗二十一史』 1巻、早稲田大学出版部、1911年、6-10頁 。2021年5月16日閲覧。
- ^ 「獲視之,乃妻祝融夫人也。夫人世居南蠻,乃祝融氏之後」「眾視之,乃孟獲妻弟,現為八番部長,名曰帶來洞主」s:zh:三國演義/第090回
- ^ “中国第一辆火星车命名为:祝融号” (中国語). 中国国家航天局 (2021年4月24日). 2021年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月16日閲覧。
祝融(しゅくゆう)
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「まじかる無双天使 突き刺せ!! 呂布子ちゃん」の記事における「祝融(しゅくゆう)」の解説
呂布子への試練の世界で出会った南蛮の女王。その姿及び性格はマリエに瓜二つ。
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祝融
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南蛮の王孟獲の妻。貂蝉と同じく数少ない女性武将の一人。青ルートでは貂蝉と一騎討ちした場合、貂蝉に南の踊りを披露する(また貂蝉の北の踊りを見た時はかなり絶賛していた)。
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祝融 (しゅくゆう)
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「紅き大魚の伝説」の記事における「祝融 (しゅくゆう)」の解説
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祝融(しゅくゆう)
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医鶃が事える南方の神、炎の化身たる女神娘々(にゃんにゃん)。妤を救うため生者でありながら九泉(黄泉)に向かう顔回を導く。
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「 祝融」の例文・使い方・用例・文例
- 祝融の災いかかる
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