"ラバーマン" ジョニー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 09:11 UTC 版)
「ジョニー・ウォーカー (プロレスラー)」の記事における「"ラバーマン" ジョニー」の解説
パット・オコーナーらのトレーニングを受け、1956年に後年の居住地でもあるハワイにてデビュー。以後、"ラバーマン" ジョニー・ウォーカー("Rubberman" Johnny Walker)のリングネームでカナダのトロントやテキサスのダラスなどを転戦、1960年代初頭はWWWFの前身団体であるNWAノースイースト地区のキャピトル・レスリング・コーポレーションでも活動した。1960年代後半からはテネシーのNWAミッドアメリカ地区を主戦場に、同地区認定のローカル・タイトルを再三獲得している。 1969年11月には日本プロレスの『NWAシリーズ』に初来日。当時のNWA世界ヘビー級王者ドリー・ファンク・ジュニアをはじめ、ダニー・ホッジ、ハーリー・レイス、ブル・ラモスらビッグネームが参戦した同シリーズにおいては目立った活躍は残せなかったものの、ラバーマン(ゴム人間)の異名通りの柔軟な体を駆使したクラッチ技を披露し、中堅どころの日本勢を翻弄した。 1971年、エディ・グラハムが主宰するNWAフロリダ地区で覆面レスラーのザ・グラップラー(The Grappler)に変身。3月23日にレネ・グレイから南部ヘビー級王座を奪取し、飛躍のきっかけを掴む。後に素顔に戻り、1972年6月24日にはボリス・マレンコと組んでフロリダ・タッグ王座も獲得した。また、フロリダでは本家ミスター・レスリングのティム・ウッズとも邂逅している。
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