MU-2
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/13 02:21 UTC 版)
バリエーション
- MU-2A
- 最初の生産型。仏チュルボメカ「アスタズ-II」Kエンジン(562馬力)を搭載。
- MU-2B
- アメリカ合衆国向けにエンジンをギャレット・エアリサーチ TPE331-25A(705馬力)に変更。
- MU-2C
- 防衛庁向け。Bの陸上自衛隊仕様。制式名称LR-1。
- MU-2D
- 防衛庁向けにBを出力増強したもの。三菱社内呼称。
- MU-2E
- 防衛庁向け。Dの航空自衛隊仕様。
- MU-2F
- Dを出力増強・長胴(ストレッチ)化したもの。
- MU-2K
- Jの長胴タイプ。
- MU-2L
- Jを出力増強したもの。
- MU-2M
- Lの長胴タイプ。
- MU-2N
- Lを出力増強したもの。最終生産型。
- MU-2P
- Nの長胴タイプ。
スペック
- 定員 - 7-9(用途別)
- 全長 - 長胴12.03 m、短胴10.13 m
- 全幅 - 11.95 m
- 全高 - 長胴4.17 m、短胴3.94 m
- 自重 - 3,200 kg (種別により多岐)
- 最大離陸重量 - 5,250 kg (種別により多岐)
- エンジン - ギャレット・エアリサーチ TPE331-10-501M×2(種別により多岐)
- 最大速度 - 571 km/h=M 0.47
- 航続距離 - 2,780 km
各自衛隊での運用
MU-2販売当時の日本ではビジネス機の市場が小さかったため、民間ではそれほどの売上にはつながらず、もっぱら自衛隊への納入となった。
航空自衛隊
MU-2S
MU-2Dの自衛隊仕様機であるMU-2Eをベースとした救難捜索機として開発されたのがMU-2Sで、航空自衛隊ではMU-2Aとして採用されて、1967年より導入を開始した[8]。1987年(昭和62年)までに29機を導入、全国の救難隊に1-2機ずつを配備した。救難装備品の空中投下を想定して、飛行中でも開閉可能なスライド式ドアを装備したことから、キャビンの与圧は廃止されたほか、航法・通信装備の強化、救命具・マーカーのラック設置、77ガロン入り燃料タンクの増設、胴体両側面には水滴型の大型観測窓を設置するなど、多岐の改造点があるが、外見の特徴は機首に搭載されたドップラー・レーダーで、レドームにより通常より50cmほど長くなっている[8]。
老朽化のため、1995年(平成7年)からU-125Aに順次交代し、2008年(平成20年)10月22日に退役した[9]。
- 機体概要
-
- 全長 - 10.7 m
- 全幅 - 11.9 m
- 全高 - 3.9 m
- 自重 - 3.6 t
- 運用重量 - 2,900 kg
- 最大離陸重量 - 4,600 kg
- エンジン - TPE331-25AB ターボプロップ2基搭載(605PS×2)
- プロペラ - ハーツェルHC-B3TN-5
- 直径 - 2.29 m/3枚羽根
- 燃料容量 - 375 gal(機内298gal+増加タンク77gal)
- 最大速度 - 460 km/h=M 0.38
- 航続距離 - 1750 km
- 海面上昇率 - 1,400 ft/分
- 乗員 - 4 名
- 事故
MU-2J
1975年(昭和50年)には長胴のMU-2GをMU-2J飛行点検機(航法用などの航空設備の動作をチェックする任務)として採用、4機導入した。外観はMU-2Gと大差ないが、機体構造が一部強化され、機内に航法・通信機器、オシロスコープ、グラフィックレコーダーなどの機材が搭載された。老朽化のためU-125に交代し、1994年(平成6年)3月22日に用途廃止となった。
- 機体概要
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- 全幅 - 11.94 m
- 全長 - 12.03 m
- 全高 - 4.17 m
- 主翼面積 - 16.55 m2
- 運用重量 - 2,915 kg
- 最大離陸重量 - 4,700 kg
- エアリサーチTPE-331-1-151Aターボプロップ×2
- プロペラ - ハーツェルT10178HB-11
- 直径 - 2.29 m/3枚羽根
- 燃料容量 - 366 gal
- 巡航速度 - 525 km/h=M 0.43
- 実用上昇限度 - 27,000 ft
- 海面上昇率 - 1,400 ft/分
- 飛行航続距離 - 2,500 km
- 乗員 - 2 名、乗客 - 10 名
陸上自衛隊
陸上自衛隊ではMU-2Cを連絡偵察機(駐屯地の連絡輸送と偵察を行う任務)LR-1として採用した。1号機は1967年(昭和42年)5月11日に初飛行、1969年(昭和44年)から量産2号機以降が引き渡され、1984年(昭和59年)までに20機を導入した。機体は空自のMU-2Sと同様にキャビン与圧を廃止し、(ただし、後期に製造された機体は与圧キャビンを持つ)乗員2席・乗客5席とした。偵察時は JKA-30A カメラ2基と12.7mm重機関銃M2を2挺装備できる。
沖縄県の第101飛行隊に配備されていたLR-1では、通常の迷彩塗装ではなく、オリーブドラブを基調とした白とオレンジ色に塗られた沖縄仕様となっていた。
LR-1の老朽化に伴い2000年(平成12年)から後継機のLR-2としてレイセオン製ビーチ 350 キングエアの導入が進められ、2016年(平成28年)2月15日の19号機の最終フライトをもってLR-1は用途廃止となった[10]。
- 機体概要
-
- 全長 - 12.0 m
- 全幅 - 10.1 m
- 全高 - 3.9 m
- TPE331-6A-251M ターボプロップ2基を搭載(715PS×2)
- 最大離陸重量 - 4,750 kg
- 最大速度 - 539 km/h=M 0.44
- 巡航速度 - 440 km/h=M 0.36
- 航続距離 - 2,000 km
- 事故
- 1981年(昭和56年)8月10日、陸上自衛隊航空学校宇都宮分校のLR-1(JG-22011)が左エンジン停止後操縦不能に陥り宇都宮飛行場近郊に墜落。乗員6名のうち5名死亡、1名が重傷を負った。
- 1990年(平成2年)2月17日、宮古島へ向かったLR-1(MU-2C)が海上に墜落。乗員3名と添乗医師1名が死亡した。
海上自衛隊
海上自衛隊では、S2F-1の後継となる小型対潜機(VS)としてMU-2の派生型を検討し、1966年頃には航空集団幕僚長(薬師寺海将補)から海上幕僚監部防衛班に対して非公式な提案がなされたこともあったが、第3次防衛力整備計画に公式に盛り込まれることはなく、立ち消えとなった[11]。
日本以外の運用国
軍用
- アルゼンチン - フォークランド紛争の際、4機の民用のMU-2がアルゼンチン空軍に買収され、写真偵察飛行隊「Escuadrón Fénix」に従事。
- ニュージーランド[12]
- アメリカ合衆国 - アメリカ空軍第4477試験飛行隊で汎用機として運用。主に模擬航空戦における管制任務に使用[13]。
注釈
- ^ 当時は日本製品は安物の印象があり、高級機を展示する際、日本人関係者は物陰から眺めていたという。
出典
- ^ 中村 1994, pp. 303–304.
- ^ 池田 1965, p. 397.
- ^ 中村 1994, pp. 305–306.
- ^ 中村 1994, p. 308.
- ^ 前間 2002.
- ^ 池田 1965, p. 399.
- ^ 中村 1994, pp. 307–308.
- ^ a b 杉山 2007, p. 101.
- ^ ありがとうMU-2(航空自衛隊浜松基地、2008年10月。リンク切れ)
- ^ “最後の連絡偵察機が廃止に=千葉”. 時事通信 (2016年3月1日). 2016年3月1日閲覧。
- ^ 杉浦 2017.
- ^ MITSUBISHI MU-2F, NZ0224G / 177, ROYAL NEW ZEALAND AIR FORCE - abpic.co.uk 2023年1月8日閲覧。
- ^ 関賢太郎「MRJ、YS-11以上 消えゆく隠れた国産傑作機」『乗りものニュース』メディア・ヴァーグ、2015年7月18日。
固有名詞の分類
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