藤光謙司
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/04 10:06 UTC 版)
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選手情報 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ラテン文字 | Kenji Fujimitsu | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | 日本 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
種目 | 短距離走 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所属 | ニューネックス | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大学 | 日本大学 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1986年5月1日(38歳) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | 埼玉県浦和市(現:さいたま市)[1] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 182cm | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 69kg | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
成績 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
オリンピック | 200m : 予選5組6着(2016年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
世界選手権 |
200m : 準決勝3組7着(2015年) 4x100mR : 3位(2017年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
地域大会決勝 |
アジア大会 200m : 2位(2010年) 4x400mR : 優勝(2014年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
国内大会決勝 |
日本選手権 200m : 優勝(2010, 2015年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
最高世界ランク | 200m : 22位(2010, 2016年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
自己ベスト | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
100m |
10秒23(2017年) 10秒14w(2015年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
200m | 20秒13(2015年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
400m | 46秒13(2006年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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経歴
三室中学校3年時の2001年に、参加標準記録ピッタリで全日中の100mと200mに初出場を果たすも、両種目で予選敗退に終わる。
さいたま市立浦和高校2年だった2003年に世界ユース選手権日本代表に選出され、200mとメドレーリレーに出場した。200mは準決勝で敗退したが、メドレーリレーでは2走を務めて銅メダルを獲得した。
日本大学2年だった2006年に関東インカレの200mで20秒46を記録するなどしていたが、日本選手権で好成績を上げることができず、大学時代はオリンピックや世界選手権の出場経験はなかった(2007年のアジア選手権に出場経験があり、200mで優勝している)。
社会人1年目の2009年、日本選手権200mで20秒55の記録で3位になり、初めての世界選手権代表になった。8月の世界選手権では、200mは2次予選で敗退したが、400mリレーにおいて、日本のアンカーを務め、4位に入賞した。11月に行われたアジア選手権では、400mリレーのアンカーを走った40分後に1600mリレーの1走を務め、共に金メダルを獲得した。また12月の東アジア大会は200m金メダル、400mリレー銀メダルだった。
2010年の日本選手権200mでは20秒38の自己ベストをマークして初優勝し、高平慎士の3連覇を阻止した[3]。9月の全日本実業団対抗選手権200mでも高平慎士の4連覇を阻止して初優勝した[4]。11月の広州アジア大会日本代表に選出され、200mと400mリレーと1600mリレーに出場した。200mは優勝したカタールのフェミ・オグノデに次ぐ銀メダルを獲得した。400mリレーはアンカーを務めたが、バトンミスがあり予選2組5着で敗退し、1978年バンコク大会から続いていたメダル獲得記録が途絶えた[5]。1600mリレーは2走を務め、優勝したサウジアラビアと0秒13差の銀メダルに終わった[6]。
2013年の世界選手権は400mリレーの補欠として参加していたが、リレーメンバーだった山縣亮太が100mで負傷したため、山縣の代わりに急遽2走で起用されることになった[8]。予選では38秒23のシーズンベストを記録して2組2着で決勝に進出したが、決勝は38秒39の6位に終わった。9月は全日本実業団対抗選手権200mで3年ぶり2度目の優勝を果たした[9]。10月には国体の成年少年共通400mリレーで埼玉県のアンカーを務め、この種目では埼玉県25年ぶりの優勝に貢献した[10][8]。12月、日本陸上競技連盟がリレー種目強化のために発足したナショナルチーム(男子24名、女子14名)の一員に選ばれた[11]。
2014年は4月の出雲陸上300mで32秒25の日本新記録およびアジア新記録を樹立した[12]。5月には世界リレーの800mリレーに出場してアンカーを務めた。オリンピックや世界選手権では行われない800mリレーに、日本は400mリレーと1600mリレーの補欠の選手達でエントリーしたが[13]、バトンミスが響き予選2組4着で決勝に進出することはできなかった[14]。6月の布勢スプリント100mでは第1レースで10秒28の自己ベストをマークした。9-10月はアジア競技大会に2大会連続で出場した。今回はリレー種目のみの出場だったが、1600mリレーの2走を務めて4大会ぶりの金メダル獲得に貢献した[15]。同月の全日本実業団選手権では100mを初制覇。200mで2連覇を達成し、1995年大会の伊東浩司以来の両種目で2冠[16]、自身初の全国大会での2冠を達成した[17]。
2015年、4月の出雲陸上300mで32秒21をマークし、自身の持つ日本記録およびアジア最高記録を更新した[18]。5月の世界リレーでは400mリレーの2走を務め、2016年リオデジャネイロオリンピックの出場権と銅メダル獲得に貢献した[19]。6月の日本選手権200mでは決勝を20秒32の自己ベストで制して5年ぶりの優勝を達成。7月には自身初となる単独でのヨーロッパ遠征を決行すると[20]、14日にスイスのルツェルンで行われた国際競技会の200mで日本歴代2位(当時)の記録となる20秒13(+0.6)をマークし、自己ベストを0秒19更新した。迎えた8月の世界選手権では、200m予選で20秒28(-0.3)のセカンドベストをマークし、末續慎吾が2003年大会でマークした20秒22(0.0)の世界選手権日本人最高記録に迫る好記録で予選を通過した。しかし、準決勝は3月に違和感を覚えた股関節などが気になりだし、怪我を恐れて全力を出すことが出来ずに20秒34(+0.8)とタイムを落として敗退した[21]。400mリレーは予選で2走を務めたが、3-4走間のバトンミスが響き決勝進出を逃した。
2017年8月の2017年世界陸上競技選手権大会では4×100mリレーの補欠メンバーに入り、決勝ではコンディション不良のケンブリッジ飛鳥に代わり第4走者を務め銅メダルを獲得した。
2020年6月末にゼンリン陸上競技部を退部。自身でもアスリートを支援する団体を立ち上げるなどしており、これ以上の支援は必要ないと判断した。
2021年7月12日、自身のTwitterで現役引退を発表した[22][23]。
人物・エピソード
- サッカーの街・浦和市(現さいたま市)で生まれ育ったこともあり小学校時代はサッカーをしていたが、自分に対して結果が直結する個人競技をやりたいと思うようになり、友人に誘われて中学から陸上を始める[1]。
- 中学3年時の全日中で「けちょんけちょんにやられて」(藤光)、全国にはたくさん速い選手がいることを知り、中学で陸上をやめようと思ったこともあったという。しかし、市立浦和高校の先生から声を掛けられたのをきっかけに陸上を続けた[1]。
- ZOZOマリンスタジアムで千葉ロッテマリーンズの選手を相手に盗塁に挑戦したことがあり(2017年12月31日、TBS系列の『KYOKUGEN』で放送)[24]、成功している。
- 「人間って消耗品だと思ってるんで、車とかと一緒なのかなという考え。一生走れる走行距離というのは決められてるんじゃないかって思ってる」という持論の持ち主のため、「ほとんど練習しない」。「省エネして1日2、3本とかしか走らなくて、それを週4回とか5回くらいやるのが僕の通常のメニュー」とのことで、それでなお2017年に「31歳で自己ベスト出してるんで、ずっと右肩上がりで記録は伸びてるので間違った練習はしてると思ってない」と主張している[25]。
注釈
出典
- ^ a b c d 「日本選手権直前! 注目トップアスリート 藤光謙司」『陸上競技マガジン』第65巻第12号、ベースボール・マガジン社、2015年7月号、17-20頁。
- ^ “藤光謙司オフィシャルファンクラブサイト”. 藤光謙司オフィシャルファンクラブサイト. 2018年6月30日閲覧。
- ^ 高平V3阻止!藤光、自己ベストで初タイトル スポニチ Sponichi Annex (2010-6-6) 2014年7月8日閲覧。
- ^ 室伏 記録は低調も5度目V! スポニチ Sponichi Annex (2010-9-26) 2014年7月8日閲覧。
- ^ 走り高跳び高張ら3人が銀 ア大会陸上23日 共同通信社 (2010-11-23) 2014年7月8日閲覧。
- ^ 藤光、男子1600R無念の2位 「即席メンバー」 福井新聞 (2010-11-27) 2014年7月8日閲覧。
- ^ 陸上競技選手 藤光謙司との所属契約締結についてのお知らせ ゼンリン (2012-5-25) 2014年7月8日閲覧。
- ^ a b 埼玉V、東京は失格 男子400R/国体 日刊スポーツ nikkansports.com (2013-10-8). 2014年7月8日閲覧。
- ^ 男子200は世界選手権リレーメンバーの藤光が優勝 スポニチ Sponichi Annex (2013-9-21) 2014年7月8日閲覧。
- ^ 埼玉、5年ぶり天皇杯3位/東京国体 埼玉新聞 (2013-10-9) 2014年7月8日閲覧。
- ^ ナショナルリレーチーム 日本陸上競技連盟 (PDF, 125 KB) 2014年7月8日閲覧
- ^ 陸上:藤光謙司、日本新にびっくり 男子300m 毎日新聞 (2014-4-20) 2014年7月8日閲覧。
- ^ 世界リレーに桐生ら 高瀬、飯塚も代表入り 24、25日バハマ スポニチ Sponichi Annex (2014-5-7) 2014年7月8日閲覧。
- ^ 新設「世界リレー」で見えた日本チームの課題 sportsnavi スポーツナビ (2014-5-27) 2014年7月8日閲覧。
- ^ “男子1600リレーで金 アジア大会”. 日本経済新聞 (2014年10月2日). 2014年10月12日閲覧。
- ^ “【陸上】藤光、男子100初制覇で2冠達成”. スポーツ報知 (2014年10月12日). 2014年10月12日閲覧。
- ^ “2冠喜ぶ藤光=全日本実業団陸上”. 時事通信 (2014年10月12日). 2014年10月12日閲覧。
- ^ “藤光謙司 出雲陸上競技大会にてアジア新記録で優勝”. ゼンリン (2015年4月13日). 2015年4月20日閲覧。
- ^ “日本男子400リレーでリオ切符!大健闘の銅 桐生「夢中で走った」”. スポーツニッポン (2015年5月4日). 2015年5月4日閲覧。
- ^ “https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2015/07/10/kiji/K20150710010705810.html”. スポーツニッポン (2015年7月10日). 2015年7月15日閲覧。
- ^ 「TEAM JAPANの熱戦譜」『月刊陸上競技』第49巻第11号、講談社、2015年10月号、73頁。
- ^ "ロンドン世陸400リレー銅の藤光謙司が引退 東京五輪出場叶わず「区切りをつけることに」". スポーツ報知. 報知新聞社. 12 July 2021. 2021年7月12日閲覧。
- ^ 『【世界陸上銅メダリスト】藤光謙司選手 第一線を退く意向』(プレスリリース)PR TIMES、2021年7月12日 。2021年7月12日閲覧。
- ^ 本人の公式Twitterアカウントの2017年12月29日17時8分の投稿。
- ^ “「ほとんど練習しない」 陸上の藤光謙司が語る短距離走の極意”. ライブドアニュース. LINE Corporation (2018年1月29日). 2018年3月5日閲覧。
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