荒野より (小説) 作品背景

荒野より (小説)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/14 15:35 UTC 版)

作品背景

『荒野より』で描かれている偏執的ファンの闖入事件は、この作品の発表された同年の1966年(昭和41年)6月下旬に実際に起った出来事である[10]

その青年はそれ以前にも何回か三島邸を訪れるが[注釈 1]、その度に面会を断られ、事件の当日の早朝に三島邸の庭に無断で入り、家人の制止も聞かずに三島宅の勝手口の扉を叩き続けた後、2階のに昇り、窓ガラスを割って室内に侵入し、三島の書斎に入り込んだ[11]。青年は家人に通報され、すぐに警官により家宅侵入罪で捕えられた[11][12]

なお、この青年以外にも三島の家を訪れる不審者は度々あったようで、中には、身に覚えのない、根も葉もないことをネタに強請りに来る、法律知識を駆使する詐欺師まがいの悪質な輩もいたという[11]

ちなみに、三島一家がまだ目黒区緑が丘にいた頃に「特攻隊の生きのこり」と名乗る異様な風体の男がやって来たエピソードを、三島の父親・平岡梓が語っている[13]。男は、梓が息子は留守だと言っても、「三島に会わせろ」と無理矢理に家に闖入し、三島の衣服を30点ほど盗んでタクシーで去っていった[13]

しかし、梓はタクシーのナンバー道路に書き留めていたので、ほどなく強盗男は逮捕された。その後、仮出獄した男は、「三島に会いたい」と新居に再びやって来て、梓が「に帰って気分転換でもしたらどうか」と諭すと、「旅費が工面できないので…」と言い出し[13]、そのうち、密かに通報しておいたパトカーに連れて行かれたという[13]


注釈

  1. ^ 住所は大田区南馬込四丁目32-8である。
  2. ^ 澁澤龍彦が追悼文『絶対を垣間見んとして……』の中で、三島を「能動的ニヒリスト」と呼んだこと[22]
  3. ^ ただし、幻の六期生・須賀清は、この友人が三島宅を訪問した時期を、1970年(昭和45年)の「夏」だったとしている[28]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 青海健異界からの呼び声――三島由紀夫晩年の心境小説」(愛知女子短期大学 国語国文 1997年3月号)。(青海・帰還 2000, pp. 58–83)。
  2. ^ a b c 山内洋「荒野より【研究】」(事典 2000, pp. 135–137)
  3. ^ a b 佐渡谷重信「荒野より」(旧事典 1976, p. 152)
  4. ^ a b c d e f 清水昶「日常の中の荒野――『真夏の死』、『孔雀』、『荒野より』、『独楽』」(清水昶 1986, pp. 60–75)
  5. ^ 田中美代子「解題――荒野より」(20巻 2002, p. 806)
  6. ^ 井上隆史編「作品目録――昭和41年」(42巻 2005, pp. 440–444)
  7. ^ 山中剛史編「著書目録」(42巻 2005, p. 597)
  8. ^ “[https://www.chuko.co.jp/bunko/2016/06/206265.html 荒野より 新装版]”. 中央公論社 (2016年6月23日). 2022年12月11日閲覧。
  9. ^ 久保田裕子「三島由紀夫翻訳書目」(事典 2000, pp. 695–729)
  10. ^ 佐藤秀明・井上隆史編「年譜 昭和41年6月下旬」(42巻 2005, p. 282)
  11. ^ a b c 三島由紀夫「荒野より」(群像 1966年10月号)。『荒野より』(中央公論社、1967年3月)、荒野・中公 1975, pp. 10–28、群像18 1990, pp. 367–378、20巻 2002, pp. 517–537に所収
  12. ^ a b c d e f g h i 奥野健男「『英霊の声』の呪詛と『荒野より』の冷静」(奥野 2000, pp. 391–420)
  13. ^ a b c d 平岡梓「倅・三島由紀夫」(諸君! 1971年12月号-1972年4月号)。「第三章」(梓 1996, pp. 48–102)。
  14. ^ 江藤淳「文芸時評」(朝日新聞夕刊 1966年9月27日号)。江藤 1989, pp. 373–377に所収。事典 2000, p. 135に抜粋掲載。
  15. ^ a b c 山本健吉「文芸時評」(読売新聞 1966年9月27日号)。山本 1969, pp. 426–427に所収
  16. ^ 三島由紀夫「危険な芸術家」(文學界 1966年2月号)。荒野・中公 1975, pp. 124–126、美学講座 2000, pp. 54–56、33巻 2003, pp. 632–634に所収
  17. ^ a b c 磯田光一「文化主義に背くもの――『荒野より』について」(図書新聞 1967年4月1日号)。「三島由紀夫と現代 文化主義に背くもの――『荒野より』について」(磯田 1979, pp. 137–140)
  18. ^ a b c d e 佐伯彰一「《評伝・三島由紀夫》――二つの遺作」(『三島由紀夫全集』3巻-4巻、6巻、10巻、13巻、17巻-19巻月報付録)(新潮社、1973年-1974年)。「第二部 追想のなかの三島由紀夫――(一)二つの遺作」(佐伯 1988, pp. 77–126)に所収
  19. ^ a b c 村松剛「解説」(荒野・中公 1975, pp. 313–319)。「I 三島由紀夫――その死をめぐって 『荒野より』」(村松・西欧 1994, pp. 30–37)に所収
  20. ^ a b c d e 中上健次「三島由紀夫の短編」(群像18 1990, pp. 306–308)
  21. ^ a b c d e f g h 佐藤秀明「序章 三島由紀夫の『荒野』」(佐藤 2006, pp. 9–19)
  22. ^ 澁澤龍彦「絶対を垣間見んとして……」(新潮 1971年2月号)。澁澤 1986, pp. 75–85に所収
  23. ^ 大野晋『日本語練習帳』(岩波新書、1999年1月)
  24. ^ 井上隆史編「作品目録――昭和45年」(42巻 2005, pp. 456–460)
  25. ^ 山中剛史編「著書目録」(42巻 2005, p. 615-616)
  26. ^ 三島由紀夫「ドナルド・キーン宛ての書簡」(昭和45年2月27日付)。ドナルド書簡 2001, pp. 190–192、38巻 2004, pp. 447–449に所収
  27. ^ a b 徳岡孝夫「第八章 いつ死ぬ覚悟を?」(徳岡 1999, pp. 209–210)
  28. ^ a b c d 鈴木亜繪美「第一章 曙(五)『楯の会』百人の兵隊――五期生 須賀清の証言」(火群 2005, p. 69)
  29. ^ 田中美代子「解説――まだ文学が神聖だった頃」(遍歴エッセイ 1995, pp. 275–282)





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