箸墓古墳 外表施設・遺物

箸墓古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/12 20:27 UTC 版)

外表施設・遺物

前方部先端の北側の墳丘の斜面には、川原石を用いた葺石が存在していることが確認されている。この時期には埴輪列はまだ存在していないが、宮内庁職員によって宮山型特殊器台・特殊壺、最古の埴輪である都月型円筒埴輪[注釈 1]などが採集されており、これらが墳丘上に置かれていたことは間違いない。また岡山市付近から運ばれたと推測できる特殊器台・特殊壺が後円部上でのみ認められるのに対して、底部に孔を開けた二重口縁の壺形土師器は前方部上で採集されており、器種によって置く位置が区別されていた可能性が高い。特殊器台や特殊壺などの出土から三世紀後期以降の古墳時代初頭に築造された古墳であると考えられている。

埋葬施設は不明であるが、墳丘の裾から玄武岩の板石が見つかっていることから竪穴式石室が作られていた可能性があり、この古墳が卑弥呼の墓とすれば『魏志倭人伝』の「石棺はあるが槨が無い」との記載とは矛盾する。この石材は、大阪府柏原市芝山の石であることが判明している。従って、崇神紀に記す大坂山(二上山)の石ではない。また墳墓の規模も魏志倭人伝の記載より大きすぎるという意見がある。

だが、近年の発掘調査の成果により箸墓古墳後円部頂部の石槨に二上山北麓の石材が使用していることが判明し 、記紀伝承考古学の成果が一致するという成果が出ている[19]

築造時期

墳丘形態や出土遺物の内容から白石太一郎らによって最古級の前方後円墳であると指摘されている。陵墓指定範囲外の周辺部である箸中大池西側の堤改修工事に先立って、奈良県立橿原考古学研究所が行った事前調査で周濠の底から布留0式ふるぜろしき土器が多量に出土した。これの実年代について、奈良県立橿原考古学研究所は炭素14年代測定法により280~300年(±10~20年)と推定している。

しかし土器は古墳自体から発見されたものではなく、陵墓指定範囲外の周濠の底から発見された土器に付着していた炭化物が3世紀後半のものだとしても、この古墳が発掘された纒向遺跡には縄文時代から古墳時代までの遺跡が存在しているのでそれが箸墓古墳の築造年を代表しているとは言えないし、仮に3世紀後半であったとしても卑弥呼の没年より新しいことになる[要出典]。また炭素14年代測定法は年輪からの推定法との比較で大きな誤差があることが知られている。

周溝出土の馬具

『魏志倭人伝』では牛馬がいなかったと記述されているが、周壕からは馬具(木製の輪鐙)が出土している。

桜井市教育委員会が2000年(平成12年)に実施した纒向遺跡第109次発掘調査で、周濠内の覆土(植物層)上層から木製の輪(馬具)が発見されている[20]。同時に出土した布留Ⅰ式土器により4世紀初頭頃のものとされるが[21]、これにより列島内への騎馬文化の流入および東アジアにおける騎馬文化の伝播の理解が従来よりも古く修正されることになった。なお、周濠が機能停止し埋没し始めた後に堆積した土層からの出土であることから、古墳本体の築造年代論とは直接関連しない。

確認できる最古の鐙は302年と322年に埋葬された鮮卑東晋の墳墓から出土した騎馬俑の片側のみ。このためが発明されたのは290~300年頃とされる。漢字で鐙を「金編に登」と表すのは、初期の鐙が金属製で乗馬の際の足がかりとしてのみ使用されたことに由来する。木製鐙は鉄製鐙のあとに登場した。確認される最古の木製輪鐙は朝鮮半島は百済時代初期(4世紀前半)の天安斗井洞の木芯鉄板張輪鐙とされる。小野山節が「日本発見の初期の馬具」で木芯鉄板張輪鐙を古式と新式の2種に分類している。これによると箸墓古墳の周濠から出土した輪鐙は下部が欠損してるため確認出来ないが、残っている部分で判断すると

  • 柄が細長い。
  • 柄の頭が角ばる。

など新式の特徴が見受られる。

4世紀前半は中国でが発明された直後であり、この時期の騎馬俑には小さな鉄製と思われる鐙が確認できるが、これらには乗馬の際の足掛けとしての機能しかなかった。朝鮮半島で出土した百済前期(4世紀前半)とされる最古の木製輪鐙は木型に鉄板を貼り馬の操縦に適した機能を持たせるなど劇的な改良が見られる。木製鐙が開発されたと考えられている高句麗周辺の壁画古墳からは5世紀以降にならないと木製鐙が確認されない。鐙が朝鮮半島に伝わった時期を考慮してもこれを4世紀前半とするには疑わしく、百済中央集権国家になったのは4世紀半ば以降であることからも、この木製鐙は4世紀半ば以降とする方が妥当である。さらにこれが日本に伝わった時期を考慮すると箸墓古墳の木製輪鐙は早くても4世紀後半ないし5世紀以降とする方が望ましく、その特徴が後世的であることもこれを裏付けるものとなっている[要出典]

年代に関する意見

研究者の年代観によって造営年代は若干の異同がある。広瀬和雄はその時期を3世紀中期ないし後期としている[22]白石太一郎は3世紀中葉過ぎとし[23]、「3世紀半ばすぎというのは、卑弥呼は亡くなっているが、その後継者である台与の時代である。」とも主張している[24]寺沢薫は260~280年頃[16]石野博信は3世紀後半の第4四半紀、西暦280年から290年にかけてとする[25]

日本最古の前方後円墳などと紹介されるが、前方後円墳としてホケノ山古墳纒向勝山古墳纒向矢塚古墳神門古墳群(神門5号墳・神門4号墳)、辻畑古墳など多数ある。これらの纒向型前方後円墳といわれる墳形とは異なり箸墓古墳は方形墳丘の部分が拡大した定型的な前方後円墳となっており、築造時期は3世紀後半以降と考えるのが一般的である。

意義

墳丘の全長約280メートル、後円部の高さ約30メートルで自然にできた小山と錯覚するほどの規模、全国各地に墳丘の設計図を共有していると考えられる古墳が点在している点、出土遺物に埴輪の祖形である吉備系の土器が認められる点などそれまでの墳墓とは明らかに一線を画している。また規模、埴輪などは以後の古墳のモデルとなったと考えられ当古墳の築造をもって古墳時代の開始と評価する研究者も多い。


注釈

  1. ^ 白石らによって、吉備(現在の岡山県広島県東部)からもたらされたものとされている。

出典

  1. ^ 奈良県(2021)、箸墓古墳|奈良県歴史文化資源データベース
  2. ^ 天野末喜 「天皇陵古墳と被葬者を考える」『古代史研究の最前線 天皇陵』 洋泉社、2016年、pp. 61 - 62。
  3. ^ 巨大古墳の築造年代1(No.162) 藤井寺市ホームページ
  4. ^ 古墳大きさランキング(日本全国版)”. 堺市ホームページ. 堺市 (2019年11月14日). 2020年5月13日閲覧。
  5. ^ a b 笠井 1942, pp. 344–368.
  6. ^ a b 笠井 1943, pp. 114–138.
  7. ^ 箸墓古墳周濠”. 文化遺産データベース. 文化庁. 2020年5月13日閲覧。
  8. ^ 箸中大池”. ため池百選一覧. 農林水産省 (2010年3月31日). 2020年5月13日閲覧。
  9. ^ 川口謙二編著『日本神祇由来事典』(柏書房、1993年)
  10. ^ 笠井 1922, pp. 384–397.
  11. ^ 笠井 1924, pp. 396–408.
  12. ^ 桜井市文化財協会 2014, p. 10.
  13. ^ 土橋寛『箸墓物語について』『古代学研究』72号、1974年
  14. ^ 直木孝次郎『古代日本の争乱』学生社、1983年、p.53
  15. ^ 近藤 1968.
  16. ^ a b c 寺沢 2002.
  17. ^ 白石 2012, pp. 22–28.
  18. ^ 桜井市文化財協会 2014, pp. 20–21.
  19. ^ 「卑弥呼とヤマト王権」 中央公論新社 2023‐3‐10 366頁、401頁
  20. ^ 箸中地区の輪鐙”. 纒向遺跡ってどんな遺跡?. 桜井市纒向学研究センター. 2020年5月13日閲覧。
  21. ^ 桜井市文化財協会 2014, p. 6.
  22. ^ 広瀬 2003.
  23. ^ a b 白石 1999.
  24. ^ 白石 2013.
  25. ^ a b c 石野 2008.
  26. ^ 梁 1980, pp. 540–541.
  27. ^ 広瀬 2005.
  28. ^ 第3回 転換期の考古学研究-弥生・古墳時代の畿内を一例として-”. 日本歴史地名大系ジャーナル. 平凡社. 2020年5月13日閲覧。
  29. ^ 白石 2012, pp. 9–66.
  30. ^ 橿原考古学研究所 2008.
  31. ^ 岡林, 水野 & 北山 2008, pp. 289–291.
  32. ^ ホケノ山古墳と箸墓古墳”. 橿原考古学研究所附属博物館. 2019年10月28日閲覧。
  33. ^ 奥山 2008, pp. 191–192.
  34. ^ “箸墓古墳、卑弥呼の生前に築造開始か 歴博が研究発表”. 朝日新聞. (2009年5月31日). オリジナルの2009年6月5日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090605093456/http://www.asahi.com/culture/update/0531/OSK200905310039.html 2011年11月12日閲覧。 
  35. ^ a b 西本 2009, p. 3.
  36. ^ “年代変わる?古墳時代 精度高まる土器の測定”. 朝日新聞. (2008年6月7日). オリジナルの2008年6月10日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20080610001234/http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200806070135.html 2011年11月12日閲覧。 
  37. ^ 弥生移 行期における土器使用状況からみた生業 国立歴史民俗博物館研究報告 第185集2014年2月
  38. ^ 平成16~20年度 文部科学省・科学研究費補助金 学術創成研究費 弥生農耕の起源と東アジア-炭素年代測定による高精度編年体系の構築”. 国立歴史民俗博物館. 2011年11月12日閲覧。
  39. ^ 春成 et al. 2011.
  40. ^ 白石 2012, pp. 40–43.
  41. ^ “卑弥呼の墓? 箸墓古墳 考古学協会など初調査”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2013年2月20日). http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20130220-OYO1T00818.htm 2013年3月5日閲覧。 
  42. ^ “吉備産土器が出土 砂を分析、ヤマト王権で役割 橿考研”. 毎日新聞. (2018年4月30日). https://mainichi.jp/articles/20180430/ddn/041/040/004000c 2018年5月17日閲覧。 
  43. ^ “実は525m…国内最大の古墳 宮内庁ネットで公開”. 朝日新聞. (2018年4月19日). https://www.asahi.com/articles/ASL4K55J0L4KPTFC00N.html 2018年5月17日閲覧。 
  44. ^ 誕生 ヤマト王権~いま前方後円墳が語り出す~”. NHK. 2021年3月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月28日閲覧。
  45. ^ 平成29年2月9日文部科学省告示第7号。


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