外表施設・遺物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 21:32 UTC 版)
前方部先端の北側の墳丘の斜面には、川原石を用いた葺石が存在していることが確認されている。この時期には埴輪列はまだ存在していないが、宮内庁職員によって宮山型特殊器台・特殊壺、最古の埴輪である都月型円筒埴輪などが採集されており、これらが墳丘上に置かれていたことは間違いない。また岡山市付近から運ばれたと推測できる特殊器台・特殊壺が後円部上でのみ認められるのに対して、底部に孔を開けた二重口縁の壺形土師器は前方部上で採集されており、器種によって置く位置が区別されていた可能性が高い。特殊器台や特殊壺などの出土から古墳時代初頭に築造された古墳であると考えられている。 埋葬施設は不明であるが、墳丘の裾から玄武岩の板石が見つかっていることから竪穴式石室が作られていた可能性があり、この古墳が卑弥呼の墓とすれば『魏志倭人伝』の「石棺はあるが槨が無い」との記載とは矛盾する。この石材は、大阪府柏原市の芝山の石であることが判明している。従って、崇神紀に記す大坂山(二上山)の石ではない。
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