石鎚山
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/11 04:44 UTC 版)
概要
石鎚山は、山岳信仰(修験道)の山として知られる。日本百名山、日本百景に加えて日本七霊山のひとつとされており、霊峰石鎚山とも呼ばれる。石鎚山脈の中心的な山であり、石鎚国定公園に1955年11月1日指定されている。また、四国八十八景64番に西日本最高峰からの眺望が選定されている。
最高峰に位置する天狗岳(てんぐだけ、標高1,982 m)・石鎚神社山頂社のある弥山(みせん、標高1,974 m)・南尖峰(なんせんぽう、標高1,982 m)の一連の総体山を石鎚山と呼ぶ。その三峰を頭部に三角点山(下記)を胸部に見立て、星が森からは涅槃弘法大師の姿と、西条市北部からは涅槃釈迦の姿といわれてきた。
三角点は天狗岳や弥山には設置されておらず、弥山の北西にある1,920.63 m[2]のピークに三等三角点「石鎚山」が設置されていて三角点山また北岳と呼ばれている。石鎚山系の一等三角点「面河山」は南西側の二ノ森山頂(1,929.24 m)に設置されている。
山名の由来
かつて石土山と呼ばれた笹ヶ峰、瓶ヶ森から授かったとされている。古くから修験道の山として知られており、山のかたちが石でできた剣である「石鎚」に似ていたことが由来などの伝承もある。
伝説
伊曽乃の女の神が石鎚山の男の神に求婚した際に、石鎚山の神は「修行せねばならず、山から3個の石を投げるので、落ちたところで待て」と言い、その石の落ちたところが伊曽乃神社だとされる[3]。
地質
新第三紀の1500万年前ごろまで、火山として活動しており、山体は三波川変成帯を覆う、安山岩からなる[4]。この安山岩は山頂の南側の面河渓を中心とする直径約7 kmに分布しており、カルデラを形成していた。ちなみに、このカルデラは日本で一般的なじょうご型カルデラではなく、環状割れ目噴火によるバイアス式カルデラである。約2万年前の最終氷期にこの辺りは周氷河作用がはたらき、岩石が砕かれ岩稜の山が形成されたと推定される[4]。
動植物
石鎚山及びその周辺の森林は、暖帯林(カシ林)から温帯林(ブナ林)、標高1,700メートル以上の亜寒帯林(ダケカンバ林、シラビソ(シコクシラベ)林)と変化に富んでいる。この亜高山帯針葉樹林は日本最南端のものであり[4]、多様な動物相を呈しており、クマタカやハヤブサ、ヤマネなどの生息地として重要であることから、国指定石鎚山系鳥獣保護区(大規模生息地)に指定されている(面積10,858ha、うち特別保護地区802ha)。また林野庁の森林生態系保護地域にも指定されている。
石鎚山を模式産地とする生物
- イシヅチトゲアシイエバエ Phaonia ishizuchiensis Shinonaga et Kano, 1971 イエバエ科トゲアシイエバエ亜科
注釈
出典
- ^ a b c 『日本歴史地名大系39 愛媛県の地名』 平凡社、1980年
- ^ 国土地理院 基準点成果等閲覧サービス
- ^ 谷川 2015, p. 205.
- ^ a b c 田代博、藤本一美、清水長正、高田将志 『山の地図と地形』 山と渓谷社、1996年
- ^ 石鎚連山の解説
- ^ 深田久弥『日本百名山』94石鎚山の項より
- ^ 『角川日本地名大辞典』 角川書店、1981年
- ^ 西條史談第63号平成17年1月 23ページ前後より
- ^ 石原保 『国史大辞典』2巻「石鎚山」、吉川弘文館、1985年
- ^ 『石鎚山系の自然と人文』 石鎚山系総合学術調査報告、1960年
- ^ 石鎚神社本殿前の休憩所内の年表による
- ^ “お山開き大祭”. 石鎚神社. 2020年3月3日閲覧。
- ^ 『アルペンガイド 中国・四国の山』 山と渓谷社、1998年
- ^ a b “大会開催要領”. 石鎚山ヒルクライム実行委員会. 2015年2月26日閲覧。
- ^ 山名の表示
石鎚山と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
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