知多鉄道デハ910形電車 運用

知多鉄道デハ910形電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/02 03:15 UTC 版)

運用

落成から太平洋戦争前後にかけて

パンタグラフ1基が撤去されたモ910形912(旧知多デハ910形912)

知多鉄道線の開通と同時に運用を開始した本形式は、線内運用のほか知多鉄道線内から愛電の神宮前直通運転を行う特急・急行運用に充当された[12]1940年(昭和15年)9月当時のダイヤにおいては、1時間間隔で運行される急行は神宮前 - 知多半田間を30分で、1日1往復のみ運行される特急は同区間を27分で結び[12]、車両の快適性と速達性の両面で武豊線を上回った知多鉄道線は、半田地区における主たる公共交通手段として定着した[15]

1935年(昭和10年)8月に知多鉄道の親会社であった愛知電気鉄道(愛電)は名岐鉄道と対等合併し、現・名古屋鉄道(名鉄)が発足した[16]。それに伴って従来愛電の傘下事業者であった知多鉄道も名鉄の傘下事業者となった[17]。その後1941年(昭和16年)1月17日付届出にて、本形式の車両記号を愛電の流儀に則った「デハ」から名鉄の流儀に則った「モ」へ変更し、同時に車両番号のゼロ起番を廃止する改番が実施された[8]。本形式は形式称号がモ910形と改められ、旧デハ910をモ915と改番、車両番号はモ911 - モ918(モ914・モ915・モ917は初代)に再編された[8]

その後、太平洋戦争の激化に伴う戦時体制への移行により、陸上交通事業調整法を背景とした地域交通統合の時流に沿う形で[18]1943年(昭和18年)2月に知多鉄道は名鉄へ吸収合併された[10]。本形式は合併に際して原形式・原記号番号のまま全車とも名鉄へ継承され、名鉄への継承後は車体塗装のダークグリーン1色塗り化、戦時体制下における輸送量増加を受けて混雑緩和を目的とした車内座席のオールロングシート化のほか[19]、2基搭載されたパンタグラフのうち1基を撤去する改造が全車を対象に施工された[19]

戦後の動向

本形式は合併後も主に常滑線系統で運用され、全車とも空襲などによる戦災を免れたものの、1948年(昭和23年)8月に発生した太田川車庫火災において[20]、モ914(初代)がモ3300形3301・3304(旧愛電デハ3300形、車番はいずれも初代)とともに被災焼失した[9][20]。復旧に際しては焼損した旧車体を廃棄し、当時の最新型車両であった運輸省規格型車両の3800系と同一の車体を新製[21]モ3750形と別形式に区分された[21]。その後1951年(昭和26年)10月にモ918をモ914(2代)へ改番し、空番を解消した[9]

残存した7両については、1958年(昭和33年)より順次豊橋寄りの運転台を撤去する片運転台化改造が施工された[9]。初期に施工されたモ911 - モ913は運転関連機器の撤去のみに留められたが、翌1959年(昭和34年)に施工されたモ914 - モ917については運転室仕切壁の撤去も施工された[19]。同時にモ915とモ917の間で記号番号の振り替えが行われ、旧番順にモ917(2代)・モ915(2代)となった[19]。また片運転台化改造と同時に、前面窓のアルミサッシ化、両側妻面への貫通幌枠・貫通幌の設置、前面貫通扉の開き扉構造化などが施工されたが、全車共通内容で実施されたものではなかったことから各車で仕様に差異が生じ[19]、前面貫通扉が引き扉構造のまま存置された車両は前面行先表示板が貫通扉部ではなく前面向かって右側へ設置された点が特徴となった[19]

後年の新型車導入に伴って、本形式を含む主電動機出力の低いHL車各形式は名古屋本線など幹線系統における運用から順次撤退、架線電圧1,500 V化昇圧工事が実施された支線区における運用が主となり、2 - 3両編成を組成して運用された[22]

3700系列新製に伴う主要機器供出

木造車体のHL車を対象とした3700系(2代)への更新が1957年(昭和32年)以降順次進捗し[23]1964年(昭和39年)以降は半鋼製車体のHL車を種車として改良型の3730系への更新が開始された[24]

本形式も3730系への更新対象となって[24]、1964年(昭和39年)10月から翌1965年(昭和40年)2月にかけて台車や制御装置・主電動機など主要機器を供出し、代わりに木造車の廃車発生品であるブリル27-MCB-2台車を装着して制御電動車から制御車へ改造、形式称号をク2330形と改めた[25]。車両番号は旧番順にク2331 - ク2337となった[25]

制御車となった本形式は機器供出未施工であったモ3300形などHL制御の電動車と編成を組成したが、3730系および同系列の改良型である3770系の増備に際して再び台車を供出することとなった[26]。不要となった本形式の車体は、車体長16 m級の小型車体が、規格が狭小であった架線電圧600 V線区の瀬戸線の入線条件に合致したため[26]、老朽化した木造車の代替目的で瀬戸線へ転用された[9]

瀬戸線への転用

名鉄モ900形電車
モ900形901(2代、旧知多デハ910)
主要諸元
電気方式 直流600 V架空電車線方式
車両定員 100人(座席48人)[* 2]
車両重量 34.50 t[* 1]
台車 ST-2
主電動機 直流直巻電動機 TDK-516-A[* 3]
主電動機出力 52.2 kW
(端子電圧500 V時一時間定格)
搭載数 4基 / 両
駆動方式 吊り掛け駆動
歯車比 2.65 (61:23)
制御装置 電動カム軸式間接自動加速制御 ES-155
制動装置 SME非常直通ブレーキ
備考 冒頭テンプレートとの重複事項は省略。
テンプレートを表示

本形式の瀬戸線への転用に際しては、瀬戸線所属の木造電動車であるモ600形(初代)[28]およびモ650形[28]より主要機器を流用して再び制御電動車へ改造された[9]

本形式は1965年(昭和40年)10月から翌1966年(昭和41年)1月にかけて順次瀬戸線の喜多山検車区へ搬入され[30]、3730系および3770系へ供出する台車などを取り外したのち、種車となる木造電動車より供出された主要機器を再整備の上で搭載した[30]。これにより、本形式は従来のHL車から種車由来の電動カム軸式間接自動進段制御器を搭載するAL車となり[30]、常用制動装置が同じく種車由来のSME三管式非常直通ブレーキとなったほか[29]、瀬戸線在籍の従来車と仕様を統一するため客用扉の手動扉化などが施工された[31](主要機器の仕様は右表参照[29])。

竣功に際しては形式称号をモ900形と改め、先行して導入されたク2331 - ク2336は旧番順にモ901 - モ906(いずれも初代)と改番された[29]

他車に遅れて1966年(昭和41年)2月に転属したク2337についてもモ901 - モ906(いずれも初代)と同様の改造を施工の上、モ907の記号番号付与が予定されていたが[27]、同年3月のダイヤ改正において瀬戸線に特急列車の新設が決定したことを受け、ク2337を含む本形式の一部車両を特急列車用車両として整備することとなった[32]

そのため、ク2337については制御電動車化改造に加えて、客用扉間の座席の転換クロスシート化、車内照明の蛍光灯化、車内暖房装置および放送装置の新設のほか、車内壁部をニス塗り仕上げから薄緑色のエナメル塗料塗り潰し仕様に改め、客用扉を自動扉仕様のまま存置するなど、接客設備改善工事が実施された[33]。さらに車体塗装を7000系「パノラマカー」と同一のスカーレット1色塗りとし、前面行先種別表示板もパノラマカーと同一形状のいわゆる「逆さ富士形」のものを装着、ミュージックホーンを新設するなど[9]、幹線系統の優等列車用車両と仕様を極力近付ける改良工事が施工された[9]

上記改造が施工されたク2337は同年2月18日に竣功し、記号番号をモ901(2代)と改め[33]、同一内容の改造が施工されたク2300形(2代)2301と編成を組成した[33]。また同日付でモ901(初代)をモ907と記号番号を改め、車番の重複を回避している[33]

次いで、モ906・モ905(いずれも初代)の順に、編成を組成したク2300形(初代)2302・2303とともにモ901(2代)と同一内容の改造が施工された[33]。竣功後の同2両は旧番の逆順にモ902・モ903(いずれも2代)と記号番号を改め[33]、同時にモ902・モ903(いずれも初代)を同じく旧番の逆順にモ906・モ905(いずれも2代)と記号番号を改めた[33]。これらの改番は、自動扉・蛍光灯照明仕様の車両を若い番号順に再編する目的で実施されたものであった[34]

その後1966年(昭和41年)4月までに、モ904は特急予備車として客用扉の自動扉化・車内照明の蛍光灯化のほか車体塗装のスカーレット1色塗り化が[33]、モ905(2代)・モ906(2代)・モ907については客用扉の自動扉化・車内照明の蛍光灯化のみがそれぞれ施工された[33]

また同年7月には、モ902-ク2302の編成を対象に、前面から側面にかけての窓下幕板部へ200 mm幅の白帯を追加する試験塗装が実施され[4]、のちに特急列車仕様に改装された全車に普及した[4]

瀬戸線転属後の動向

1968年(昭和43年)3月のダイヤ改正において特急列車の増発が実施されることとなり[35]、特急予備車であったモ904のほかモ905・モ906(ともに2代)の計3両についても同年2月から3月にかけてモ901 - モ903(いずれも2代)と同一内容による特急列車仕様化改造が実施された[35][* 4]

唯一特急列車仕様化改造の対象から外れたモ907については、1972年(昭和47年)に車体塗装のスカーレット地に白帯化、および前面行先種別表示板の「逆さ富士形」化が実施されて外観が他車と統一されたが[26]、車内座席はロングシート仕様のまま存置された[26]。その他、同時期にモ904の尾張瀬戸寄り右側の客用扉が鋼製扉に交換された[27]

その後、1970年代半ば頃に名鉄の保有する鉄道車両の標準塗装をスカーレット1色とする方針が定められた[37]。本形式も定期検査に際して順次白帯を廃してスカーレット1色塗装に改められたが[4]、モ902-ク2302の編成のみは運用離脱まで白帯が存置された[38]。なお、主に本形式によって運行された瀬戸線の特急列車は、名鉄において「特急」の種別を特別料金を必要とする列車のみに適用するよう営業政策を改めたことに伴って[39]1977年(昭和52年)3月のダイヤ改正に際して停車駅設定はそのままに種別が急行に変更された[39]

退役

瀬戸線は地下新線による栄町乗り入れ工事完成に際して、架線電圧を従来の直流600 Vから幹線系統と同一の直流1,500 Vへ昇圧することとなった[40]。昇圧時には新造車両(6600系)および幹線系統からの転属車両(3770系・3780系)の導入によって在籍車両を一新し、本形式を含む瀬戸線に在籍する従来車は全て淘汰する方針が決定した[40]

1978年(昭和53年)3月19日の架線電圧昇圧に先立って、同年3月12日にはモ903-ク2303の編成を用いて、鉄道友の会名古屋支部主催の「600 V車惜別行事」と称するさよならイベントが実施された[26]。モ903は前面窓のアルミサッシ化などが施工されておらず、最も知多デハ910形の原形を保っていたことから、「600 V車惜別行事」主催者の指名によりさよならイベントに充当された[26]

その後、昇圧前日となる3月18日の運用を最後に、他の架線電圧600 V仕様の従来車とともに全車運用を離脱した[4]。本形式は他の架線電圧600 V路線区への転属は行われず[3][* 5]、7両全車とも同年3月20日付で一斉に除籍となり、形式消滅した[42]


注釈

  1. ^ ロングシート仕様車の自重は34.30 t[27]
  2. ^ ロングシート仕様車の座席定員は56人[27]
  3. ^ モ904 - モ907(モ904を除き2代)の主電動機はTDK-31-SN[28]。定格出力などスペックは同一[29]
  4. ^ モ904と編成を組成するク2320形2324は車内座席の転換クロスシート化などモ904と同一内容による改造が施工されたが[36]、モ905・モ906(ともに2代)と編成を組成するク2320形2322・2323については車内座席がロングシート仕様のまま存置された[36]
  5. ^ 昇圧に際して余剰となった従来車のうち、モ700形・モ750形およびク2320形の一部については、同じく架線電圧600 V線区である揖斐線系統へ転属した[41]

出典

  1. ^ a b c d e 『私鉄の車両11 名古屋鉄道』 p.100
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m 『日車の車輌史 図面集 - 戦前私鉄編 上』 p.241
  3. ^ a b c d e f g 「名古屋鉄道の車両前史 現在の名鉄を構成した各社の車両」 (1986) p.173
  4. ^ a b c d e 『名鉄電車 昭和ノスタルジー』 p.159
  5. ^ 「私鉄車両めぐり(27) 名古屋鉄道 2」(1956) p.34
  6. ^ 「私鉄車両めぐり(46) 名古屋鉄道 補遺」(1961) p.37
  7. ^ 「私鉄車両めぐり(87) 名古屋鉄道 終」(1971) p.58
  8. ^ a b c 「監督局 第289号 電動客車型式、記号番号変更ノ件 昭和16年1月30日」
  9. ^ a b c d e f g h i 「私鉄車両めぐり(87) 名古屋鉄道 2」(1971) p.60
  10. ^ a b 『名古屋鉄道社史』 pp.302 - 303
  11. ^ 「名古屋鉄道のあゆみ -その路線網の形成と地域開発-」 (1986) p.81
  12. ^ a b c d e f g h 「名車の軌跡 知多鉄道デハ910物語」 (1979) p.150
  13. ^ a b c d 『日車の車輌史 図面集 - 戦前私鉄編 上』 p.217
  14. ^ a b 『名鉄電車 昭和ノスタルジー』 p.154
  15. ^ 「名古屋鉄道のあゆみ -その路線網の形成と地域開発-」 (1986) p.73
  16. ^ 『名古屋鉄道社史』 pp.201 - 202
  17. ^ 「名車の軌跡 知多鉄道デハ910物語」 (1979) p.149
  18. ^ 「名古屋鉄道のあゆみ -その路線網の形成と地域開発-」 (1986) p.75
  19. ^ a b c d e f 『名鉄電車 昭和ノスタルジー』 pp.155 - 156
  20. ^ a b 「私鉄車両めぐり(87) 名古屋鉄道 3」(1971) p.65
  21. ^ a b 「名古屋鉄道にみる車体更新車の興味」(1992) pp.21 - 22
  22. ^ 「名車の軌跡 知多鉄道デハ910物語」 (1979) p.151
  23. ^ 「名古屋鉄道にみる車体更新車の興味」(1992) p.16
  24. ^ a b 「名古屋鉄道にみる車体更新車の興味」(1992) p.19
  25. ^ a b 『名鉄電車 昭和ノスタルジー』 p.156
  26. ^ a b c d e f 「名車の軌跡 知多鉄道デハ910物語」 (1979) p.152
  27. ^ a b c d 『名鉄電車 昭和ノスタルジー』 pp.148 - 149
  28. ^ a b c d 『名鉄電車 昭和ノスタルジー』 p.147
  29. ^ a b c d 『名鉄電車 昭和ノスタルジー』 p.157
  30. ^ a b c d 『名鉄電車 昭和ノスタルジー』 p.139
  31. ^ 『名鉄電車 昭和ノスタルジー』 p.144
  32. ^ 『名鉄電車 昭和ノスタルジー』 pp.139 - 140
  33. ^ a b c d e f g h i 『名鉄電車 昭和ノスタルジー』 p.143
  34. ^ 『名鉄電車 昭和ノスタルジー』 p.141
  35. ^ a b 『名鉄電車 昭和ノスタルジー』 pp.158 - 159
  36. ^ a b 「私鉄車両めぐり(87) 名古屋鉄道 2」(1971) p.61
  37. ^ 「私鉄車両めぐり(115) 名古屋鉄道」 (1979) p.92
  38. ^ 「瀬戸線 大変革の頃」 (2006) pp.84 - 85
  39. ^ a b 「名鉄電車 Nostalgic color」 (2009) p.177
  40. ^ a b 『ヤマケイ私鉄ハンドブック8 名鉄』 p.28
  41. ^ 「名鉄モ700、モ750を称え、その足跡をたどる」 (1995) p.112
  42. ^ 『私鉄の車両11 名古屋鉄道』 p.179
  43. ^ a b 「現有私鉄概説 福井鉄道」 (2001) p.103
  44. ^ a b 「私鉄車両めぐり(115) 名古屋鉄道」 (1979) p.111
  45. ^ 「現有私鉄概説 北陸鉄道」 (2001) p.87
  46. ^ a b 『名鉄電車 昭和ノスタルジー』 pp.168 - 169






固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「知多鉄道デハ910形電車」の関連用語

知多鉄道デハ910形電車のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



知多鉄道デハ910形電車のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの知多鉄道デハ910形電車 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS