源義光 系譜

源義光

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/28 14:57 UTC 版)

系譜

子孫

義光の子孫は、平賀氏武田氏佐竹氏小笠原氏南部氏、簗瀬氏と在地武士として発展した。

本家の河内源氏に対しては、義光系の甲斐源氏武田信義加賀美遠光安田義定など)が一族内で分裂をせず頼朝軍に合流したため、影響力を維持した。ただしその勢力の大きさから警戒され、武田信義が失脚、その子・一条忠頼が暗殺され、加賀美遠光は逆に厚遇されるなど抑圧・分裂策により御家人化していった。

一方、常陸源氏の佐竹氏は、平家と結んで源義朝後の東関東に影響力を伸ばしたが、鎌倉幕府成立により所領没収となり、後に奥州合戦に加わって領地は戻るが振るわず、活躍は室町時代に入ってからである。

縁の地

墓所

新羅三郎義光墓
(滋賀県大津市)

墓所は滋賀県大津市園城寺町。 義光が元服の儀式を執り行った新羅善神堂の裏手にある。

また、生誕地と思われる河内源氏の本拠地の河内国石川郡壷井(現在の大阪府羽曳野市壷井)にある河内源氏の氏神の壷井八幡宮と並ぶ壷井権現に、義光と共に祖父源頼信、父頼義、長兄義家、次兄義綱が祀られている。なお、戒名は佐竹家の伝承によれば崇源院殿義光尊了。

また、鎌倉大宝寺にも墓所が残っている。

神社


  1. ^ 佐々木紀一「源義忠の暗殺と源義光」『山形県立米沢女子短期大学紀要』第45巻、山形県立米沢女子短期大学、2009年12月、19-29頁、CRID 1050001202927787264ISSN 02880725 
  2. ^ 志田諄一「武田義清・清光をめぐって」(初出:『武田氏研究』九、1992年。/所収:西川広平 編著 『甲斐源氏一族』戒光祥出版〈シリーズ・中世関東武士の研究 第二二巻〉、2021年。ISBN 978-4-86403-398-5。2021年、P47-49.


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