梅津只圓 梅津只圓の概要

梅津只圓

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/12 06:52 UTC 版)

うめづ しえん
梅津 只圓
生誕政之進
文化14年4月17日1817年6月1日
筑前国那珂郡福岡城薬院中庄
死没明治43年(1910年7月3日
福岡県福岡市薬院
死因老衰
墓地順正寺(祇園町)
記念碑梅津只圓翁像(大濠公園能楽堂)、梅津只圓先生之碑(今泉二丁目)
住居薬院
国籍 日本
別名通称:源蔵、諱:利春
職業能楽師
活動期間嘉永5年(1852年) - 明治43年(1910年)
流派喜多流シテ方
影響を受けたもの喜多六平太 (12世)
影響を与えたもの喜多六平太 (14世)夢野久作
配偶者野中いと
子供梅津健介
梅津正武
親戚婿:野中到

生涯

江戸時代

文化14年(1817年)4月17日、福岡藩召抱能楽師シテ方、梅津源蔵正武の長男として薬院中庄に生まれた[1]。幼名は政之進、栄で、藩主黒田長溥の命で利春と改名した[1]

天保3年(1832年)春、喜多六平太能静と師弟関係を結び、「」の允可を受けた[1]弘化元年(1844年)春と嘉永元年(1848年)春の2度上京し、喜多六平太能静に直接指導を受けた[2]。弘化3年(1846年)3月家督を継ぐ[2]

嘉永5年(1852年)3月自宅舞台で「翁」を初披露し、藩主黒田斉溥に御装束預を命じられた[1]。嘉永7年(1854年)3月、菅公を祀る水鏡天満宮250年に能を披露した[2]文久元年(1861年)9月28日から1月1日まで5日間、黒田長知栄進祝として能を披露し、10月15日御納戸組馬廻格となった[1]。文久3年(1863年)1月1日松囃子の際、長知より袴や面を賜った[2]

明治時代

明治元年(1868年)長知の上京に同行し、京都の黒田家菩提寺、大徳寺龍光院の宿陣で来客に囃子仕舞を披露した[2]。明治2年(1869年)4月4日環瀛丸に同船して13日東京に到着し、隔日で勤番した[2]。非番の日は根岸の喜多家宅に通い、「道成寺」「卒塔婆小町」「望月」「石橋」の相伝を受け、5月24日能静の最期を看取った[2]。明治4年(1871年)10月長男栄に家督を讓り、只圓と号したが[2]、明治12年(1879年)1月先立たれ、復帰した[1]

明治13年(1880年)3月30日、当主・黒田長知の機嫌伺いのため、門人・鈴木六郎、河原田平助と共に上京し、度々長知の実兄、藤堂高潔宅で能を披露した[1]。明治25年(1892年)10月9日能静追善能のため上京したところ[2]池田茂政前田利鬯、皇太后宮亮の林直康等に、喜多家次代千代造の補導を依頼され、婿野中到宅に滞在して稽古を行い、また斎藤五郎蔵に装束附方を伝習し[1]、明治26年(1893年)11月28日帰郷した[2]

明治38年(1905年)義兄の次男健介を養子とし、10月家督を讓った[1]。明治41年(1908年)頃身体が不自由となり、梅津朔造に「隅田川」を稽古中卒倒し、病臥の身となった[1]。明治43年(1910年)7月2日柴藤精蔵に謡曲を稽古中急変し、7月3日死去した[1]。墓所は福岡市博多区祇園町、順正寺[1]

記念碑

昭和8年(1933年)墓が累代墓に合葬されたため、旧門下佐藤文次郎、古賀得四郎、柴藤精蔵、夢野久作により銅像建造が計画され、昭和9年(1934年)10月14日旧宅庭前に津上昌平による像が除幕された[1]第二次世界大戦金属類回収令により供出され、昭和63年(1988年)大濠公園能楽堂中庭に再建された。

現在、今泉二丁目大神月極駐車場内に「梅津只圓先生之碑」がある。


  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y 夢野久作『梅津只圓翁伝』:新字新仮名 - 青空文庫
  2. ^ a b c d e f g h i j 「能仙梅津只円翁」『能楽』第3巻第1号、1905年
  3. ^ 長崎市許斐凡仙投稿文(『福岡日日新聞』5月3日号、西原和海「[解題]夢野久作における神と乞食」『梅津只圓翁伝 夢野久作著作集4』1979年 p.332)


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