悪霊島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/19 23:34 UTC 版)
概要
1980年(昭和55年)初刊。横溝正史による最後の長編小説作品で、昭和40年代の瀬戸内を舞台にした連続殺人事件を追う金田一耕助の活躍を描く。金田一シリーズとしても最後のリリースであり[注 1]、また「岡山編」の最後の作品でもある。岡山県警の磯川警部が活躍を見せるほか、磯川の過去の掘り込みもなされている。
舞台の刑部島は作中の解説によると、下津井および水島の付近にあり、鷲羽山山頂の展望台から見下ろせる場所にある[2]。
本編中「かつて刑部神社(の社屋)が崖崩れで消失」の話が出てくるが、この崖崩れの原因となった「明治26年10月14日の大台風」は実在した天災である[3]。
ストーリー
この節にあるあらすじは作品内容に比して不十分です。 |
1967年(昭和42年)。金田一耕助は、瀬戸内海に浮かぶ
しかし、捜していた男は海で瀕死の状態となって発見される。金田一は友人である岡山県警の磯川警部から、男の最期の言葉を録音したテープを聴かされる。そこには「あの島には恐ろしい悪霊が取り憑いている…腰と腰がくっついた双子…鵼の鳴く夜は気をつけろ……」という不気味なダイイング・メッセージが録音されていた。
登場人物
- 金田一耕助(きんだいち こうすけ)
- 私立探偵。
- 磯川常次郎(いそかわ つねじろう)
- 岡山県警警部。
- 広瀬(ひろせ)
- 岡山県警警部補。
- 藤田(ふじた)
- 岡山県警刑事。
- 山崎宇一(やまざき ういち)
- 刑部島駐在巡査。
- 木下(きのした)
- 嘱託医。
事件の関係者達
- 刑部大膳(おさかべ だいぜん)
- 刑部島の最高権力者。錨屋を取り仕切る。
- 刑部辰馬(おさかべ たつま)
- 刑部島村長。大膳の甥。
- 刑部守衛(おさかべ もりえ)
- 刑部神社神主。婿養子。
- 刑部巴(おさかべ ともえ)
- 大膳の双子の兄・天膳の孫。守衛の妻。「巴御寮人」とも。
- 刑部真帆(おさかべ まほ)
- 守衛と巴の娘。双子の姉。
- 刑部片帆(おさかべ かたほ)
- 守衛と巴の娘。双子の妹。
- 越智竜平(おち りゅうへい)
- 実業家。アメリカ帰りで刑部島出身。
- 越智多年子(おち たねこ)
- 竜平の叔母。
- 越智吉太郎(おち きちたろう)
- 竜平の従兄弟。
- 松本克子(まつもと かつこ)
- 竜平の秘書。
- 青木修三(あおき しゅうぞう)
- 竜平の部下。
- 妹尾四郎兵衛(せのお しろべえ)
- 神楽太夫社長。
- 妹尾松若(せのお まつわか)
- 神楽太夫。四郎兵衛の息子。1948年(昭和23年)に失踪。
- 妹尾平作(せのお へいさく)
- 神楽太夫。
- 妹尾徳右衛門(せのお とくえもん)
- 神楽太夫。
- 妹尾嘉六(せのお かろく)
- 神楽太夫。
- 妹尾弥之助(せのお やのすけ)
- 神楽太夫。
- 妹尾誠(せのお まこと)
- 神楽太夫。松若の息子。
- 妹尾勇(せのお いさむ)
- 神楽太夫。松若の息子で誠の弟。
- 三津木五郎(みつぎ ごろう)
- 観光客。※物語のキーマン。当時はヒッピーで、1981年(昭和56年)ではどこかのラジオ局のプロデューサーかDJとして勤めている。
- 荒木清吉(あらき せいきち)
- 置き薬行商人。1958年(昭和33年)に失踪。
- 荒木定吉(あらき ていきち)
- 置き薬行商人。清吉の息子。
- 浅井はる(あさい はる)
- 市子。
その他
- 刑部天膳(おさかべ てんぜん)
- 大膳の双子の兄で巴の祖父。故人。
- 宮本勇雄(みやもと いさお)
- 雲竜丸船長。
- 山下亀吉(やました かめきち)
- 学生服卸販売業者。
- 田中静恵(たなか しずえ)
- クラブ「モナミ」の女将。
- 川島ミヨ(かわしま ミヨ)
- はるの近所に住む婦人。
- 三津木秀吉(みつぎ しゅうきち)
- 三新証券元社長。五郎の父。故人。
- 三津木貞子(みつぎ さだこ)
- 秀吉の亡妻。
- 浅野こう(あさの こう)
- 三津木家の留守を預かる婦人。
- 新田穣一(にった じょういち)
- 三新証券社長。
- 山城太市(やましろ たいち)
- 人形遣い。1961年(昭和36年)に失踪。
- 磯川糸子(いそかわ いとこ)
- 磯川警部の亡妻[注 2]。
- 磯川平太郎(いそかわ へいたろう)
- 磯川警部の兄。
- 磯川八重(いそかわ やえ)
- 平太郎の妻。
- 磯川健一(いそかわ けんいち)
- 平太郎の息子。
- 磯川清子(いそかわ きよこ)
- 健一の妻。
注釈
- ^ 作品の時系列では『病院坂の首縊りの家』が最後の物語である。
- ^ 死亡は本編内で「昭和21年春の翌年」(つまり昭和22年)と明記されているが、これ以前に『湖泥』(本編にパージで前村長がやめた説明があるので昭和25年以後が舞台)で金田一が「磯川警部のうち」に泊まった場面で「警部夫人に迷惑をかけた」とある。(『湖泥』第六章)
- ^ 〔引用者註〕キネマ旬報1982年2月下旬号では『悪霊島』の配給収入は8.5億円になっている[5]。
- ^ 1980年『復活の日』の主題歌:ジャニス・イアン「ユー・アー・ラブ」の使用料は5,600万円[1]。
- ^ 映画本編にこの表現は出てこず、原作の科白「鵼のなく夜に気をつけろ」を踏襲している。なお志村けんは、このキャッチコピーを『志村けんのバカ殿様』内の由紀さおりとの共演コントでギャグとして使用している。
- ^ エンドクレジットの協力として表記される。ロケは1981年6月1日~6月15日[1]。
- ^ ロケは1981年7月8日[1]。
- ^ エンドクレジットに協力として表記。海辺に建つ石造りの鳥居は恵美須神社。ここから約100m先に2021年の『ドライブ・マイ・カー』で主人公(西島秀俊)が宿泊した閑月庵新豊がある。御手洗ロケは1981年7月10~20日[1]。
- ^ 1976年の『大地の子守歌』のメインロケ地。
- ^ エンドクレジットに協力として表記。1977年の『八つ墓村』でも撮影に使われた[1]。ロケは1981年7月7日[1]。
- ^ エンドクレジットに協力として表記。ロケは1981年7月22日から数日間[1]。
- ^ エンドクレジットの協力に大江町伊勢外宮内宮として表記される。ロケは1981年6月16日[1]。
- ^ ロケは1981年6月18日[1]。
- ^ ロケは1981年7月9日と7月21日[1]。1983年の『時をかける少女』や『たまゆら』等にも登場する
- ^ ロケは1981年7月22日[1]。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al 「創刊4周年記念号・総力特集 '81秋のスーパーシネマVol(4) 悪霊島 あくりょうとう スケール大きく完成!」『バラエティ』1981年10月号、角川書店、48–49頁。
- ^ 柴田一 (2014/11/11). 岡山「地理・地名・地図」の謎 意外と知らない岡山県の歴史を読み解く!. 実業之日本社
- ^ “明治26年台風(1893年10月14日) | 災害カレンダー”. Yahoo!天気・災害. 2022年8月21日閲覧。
- ^ 中川右介「資料編 角川映画作品データ 1976-1993」『角川映画 1976‐1986 日本を変えた10年』角川マガジンズ、2014年、281頁。ISBN 4-047-31905-8。
- ^ 「邦画フリーブッキング配収ベスト9作品」『キネマ旬報』1982年(昭和57年)2月下旬号、キネマ旬報社、1982年、123頁。
- ^ a b 椋樹弘尚「フルコース『悪霊島』Vol4 制作日誌&スタッフ証言座談会... 『やっぱり足でガツガツ歩いてイメージをつみ重ねた映画作りだったのだ!』 (松永好訓助監督・萩原吉弘助監督・深江岳彦撮影助手・拓殖靖司製作進行・遠藤功成スチルカメラマン)」『バラエティ』1981年11月号、角川書店、43–50頁。
- ^ 松島利行「映画記者が見たロケ現場における"最近宣伝マン"事情」『噂の眞相』1983年12月号、噂の眞相、64頁。
- ^ a b c d 高橋英一・西沢正史・脇田巧彦・黒井和男「映画・トピック・ジャーナル 角川事務所、東宝に対して怒る」『キネマ旬報』1981年8月下旬号、キネマ旬報社、172-173頁。「角川映画の歩み」『キネマ旬報』1993年10月下旬号、キネマ旬報社、60頁。
固有名詞の分類
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