悪霊島
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テレビドラマ
1991年版
『横溝正史シリーズ・悪霊島』は、フジテレビ系列の2時間ドラマ「金曜ドラマシアター」(金曜日21時3分 - 23時22分)で1991年10月4日に放送された。
ストーリーの大きな流れは原作通りだが、種々の改変がある。
- 原作よりも14年早い昭和28年7月の事件としており、船の乗客がテープコーダー(テープレコーダー)の存在自体を珍しがる描写がある。
- シャム双生児を窒息死させた設定は単独の死産児に変更されており、青木のダイイングメッセージに関連する文言(平家蟹など)は無く、金田一が「骨」の存在を推論する設定も無い。それに替えて「死んだ子供が生きている、死んだ男が生きている」との文言がある。
- 三津木五郎は三津木五十子という女性に変更され、守衛殺害は目撃したのみで事後共犯の設定は無い。五十子の養母は浅井はるから実母が巴だと聞いていたが嘘と判明し、不明なままとなる。
- 金田一は越智竜平の依頼ではなく単に休養のために来島している。竜平が島の観光地化を計画している設定は無く、多年子や克子も登場しない。
- 過去に失踪しているのは9年前(原作では19年前)の神楽太夫と7年前(原作では9年前)の薬屋のみで、人形遣いは省略されている。
- 大膳は刑部一族による島の継承に固執しており、兄・天膳が唯一の跡取りである娘・瑠璃を島外へ嫁に出そうとしたのに反対して殺害、さらに婿を取っても子ができなかった瑠璃を犯して巴を産ませていた。
- 大膳と吉太郎が舟で出かけるのを目撃した金田一は、舟の係留地点を手がかりに水蓮洞を発見する。
- 鵼の鳴き声が重要と考えた金田一が鳴きまねをしたところ、巴が金田一を夜の浜辺へ呼び出す。巴の前でさらに鳴きまねをすると、巴の様子がおかしくなり、金田一に迫る。
- 真帆と片帆は10歳程度で、高校通学のために島外の兼務神社に預けられていた原作の設定に相当する設定は無い。幼い身ながら家出を敢行しようとした片帆を吉太郎が捕まえ、説得しようとして勢いで扼殺してしまう。死体は巴が鋸山に埋葬していたが、野犬が掘り出して腕を咥えてきたことから発見される(1981年版映画と同様)。指輪から片帆の腕だと真帆が即断する。
- 浅井はるは大膳の命令で吉太郎が殺害していた。
- 金田一は鵼の鳴きまねをして吉太郎の小屋に巴をおびき出し、解明した真相をぶつけるが、帰ってきた吉太郎に撲られて気絶する。翌朝覚醒した金田一は駐在所へ走るが、保護されていた五十子が一足違いで紅蓮洞へ拉致されていた。
- 紅蓮洞にたどりついた金田一が巴や吉太郎に殺害される危険を冒して五十子に真相を説明しているところへ竜平が現れる。吉太郎が竜平を銃殺しようとするが、大膳が現れて自ら竜平を殺害するため吉太郎を斬殺する。銃殺されそうになった竜平を巴が庇って死に、大膳は銃で自殺を図るが弾切れで未遂となる。
- キャスト
- スタッフ
1999年版
『名探偵・金田一耕助シリーズ・悪霊島』は、TBS系列の2時間ドラマ「月曜ドラマスペシャル」(毎週月曜日21時 - 22時54分)で1999年3月8日に放送された。
原作の構成要素の多くを継承しているが、ストーリーは大幅に再構成されており、苗字や属性が変更されている登場人物も多い。
- 浅井はるからの手紙を受け取った金田一は下津井の家を訪ねて押入に隠されていた死体を発見、刑部神社の神籤を手がかりに刑部島へ向かう。島への渡船が漂流していた青木修一を収容、金田一が直接ダイイングメッセージ(内容は悪霊と鵼のみ)を聞く。
- 刑部一族と越智一族は露骨に反目しあっている。原作同様の経緯で巴との仲を裂かれた越智竜平は、神戸で貿易商として成功して島へ戻ってきた。なお、金田一と面識は無かった。
- 巴は天膳の孫ではなく大膳の実子である。山岡吉太郎は越智一族ではなく代々刑部に仕えている。
- 越智一族は竜平の姉・多年子の夫婦が仕切っているが実子は無い。養子・拓郎は真帆と恋仲だが周囲が許さない。なお、片帆は登場しない。
- 巴と竜平の子は男女の双生児であった。2人とも浅井はるが斡旋する予定だったが女児・真帆の引き取り手が無く、浅井を紹介した守衛が自分の子ということにして巴と結婚した。男児は回りまわって越智拓郎になっていた。つまり恋仲の拓郎と真帆は実は兄妹だった。
- 15年前に失踪したのは妹背(妹尾ではなく)四郎兵衛で、神楽太夫ではなく人形遣い。その親族は登場しない。浅井はるから秘密を聞いて巴を恐喝し撲殺されていた。青木も同様に巴を恐喝しようとして揉み合って転落していた。
- 巴は浅井はるが秘匿を守らないことを抗議しに行くが、守衛がやめさせてくれないと開き直られて絞殺した。
- 守衛は拓郎と真帆の秘密をネタに神社の財産処分を強要しようとしたため巴が黄金の矢で刺殺、目撃した竜平が自分の犯行に見せかけるため矢を貫通させた。なお、火事の設定は無い。
- 守衛と不倫関係にあった越智家の番頭格・松本克子は、守衛を引き継いで巴を恐喝しにかかったため絞殺された。
- 全てを金田一に告白した巴は真帆への遺書を金田一に託して投身自殺した。
- キャスト
- スタッフ
注釈
- ^ 作品の時系列では『病院坂の首縊りの家』が最後の物語である。
- ^ 死亡は本編内で「昭和21年春の翌年」(つまり昭和22年)と明記されているが、これ以前に『湖泥』(本編にパージで前村長がやめた説明があるので昭和25年以後が舞台)で金田一が「磯川警部のうち」に泊まった場面で「警部夫人に迷惑をかけた」とある。(『湖泥』第六章)
- ^ 〔引用者註〕キネマ旬報1982年2月下旬号では『悪霊島』の配給収入は8.5億円になっている[5]。
- ^ 1980年『復活の日』の主題歌:ジャニス・イアン「ユー・アー・ラブ」の使用料は5,600万円[1]。
- ^ 映画本編にこの表現は出てこず、原作の科白「鵼のなく夜に気をつけろ」を踏襲している。なお志村けんは、このキャッチコピーを『志村けんのバカ殿様』内の由紀さおりとの共演コントでギャグとして使用している。
- ^ エンドクレジットの協力として表記される。ロケは1981年6月1日~6月15日[1]。
- ^ ロケは1981年7月8日[1]。
- ^ エンドクレジットに協力として表記。海辺に建つ石造りの鳥居は恵美須神社。ここから約100m先に2021年の『ドライブ・マイ・カー』で主人公(西島秀俊)が宿泊した閑月庵新豊がある。御手洗ロケは1981年7月10~20日[1]。
- ^ 1976年の『大地の子守歌』のメインロケ地。
- ^ エンドクレジットに協力として表記。1977年の『八つ墓村』でも撮影に使われた[1]。ロケは1981年7月7日[1]。
- ^ エンドクレジットに協力として表記。ロケは1981年7月22日から数日間[1]。
- ^ エンドクレジットの協力に大江町伊勢外宮内宮として表記される。ロケは1981年6月16日[1]。
- ^ ロケは1981年6月18日[1]。
- ^ ロケは1981年7月9日と7月21日[1]。1983年の『時をかける少女』や『たまゆら』等にも登場する
- ^ ロケは1981年7月22日[1]。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al 「創刊4周年記念号・総力特集 '81秋のスーパーシネマVol(4) 悪霊島 あくりょうとう スケール大きく完成!」『バラエティ』1981年10月号、角川書店、48–49頁。
- ^ 柴田一 (2014/11/11). 岡山「地理・地名・地図」の謎 意外と知らない岡山県の歴史を読み解く!. 実業之日本社
- ^ “明治26年台風(1893年10月14日) | 災害カレンダー”. Yahoo!天気・災害. 2022年8月21日閲覧。
- ^ 中川右介「資料編 角川映画作品データ 1976-1993」『角川映画 1976‐1986 日本を変えた10年』角川マガジンズ、2014年、281頁。ISBN 4-047-31905-8。
- ^ 「邦画フリーブッキング配収ベスト9作品」『キネマ旬報』1982年(昭和57年)2月下旬号、キネマ旬報社、1982年、123頁。
- ^ a b 椋樹弘尚「フルコース『悪霊島』Vol4 制作日誌&スタッフ証言座談会... 『やっぱり足でガツガツ歩いてイメージをつみ重ねた映画作りだったのだ!』 (松永好訓助監督・萩原吉弘助監督・深江岳彦撮影助手・拓殖靖司製作進行・遠藤功成スチルカメラマン)」『バラエティ』1981年11月号、角川書店、43–50頁。
- ^ 松島利行「映画記者が見たロケ現場における"最近宣伝マン"事情」『噂の眞相』1983年12月号、噂の眞相、64頁。
- ^ a b c d 高橋英一・西沢正史・脇田巧彦・黒井和男「映画・トピック・ジャーナル 角川事務所、東宝に対して怒る」『キネマ旬報』1981年8月下旬号、キネマ旬報社、172-173頁。「角川映画の歩み」『キネマ旬報』1993年10月下旬号、キネマ旬報社、60頁。
固有名詞の分類
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