岸壁の母 概要

岸壁の母

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/11 05:34 UTC 版)

概要

ソ連からの引揚船が着くたびにいつでも見られた光景であったが、時間の経過とともに、毎回、同じような顔ぶれの人が桟橋の脇に立つ姿が見受けられるようになり、これがいつしか人々の目に止まり、マスコミによって「岸壁の母」として取り上げられ、たちまち有名になった。

モデル・端野いせ

流行歌、映画「岸壁の母」のモデルとなったのは、端野いせ1899年9月15日 - 1981年7月1日)。

明治32年(1899年)9月15日、石川県羽咋郡富来町(現在の志賀町)に生まれ、函館に青函連絡船乗組みの夫、端野清松と一人娘とともに居住していたが、昭和5年(1930年)頃に夫と娘を相次いで亡くし、家主で函館の資産家であった橋本家から新二を養子にもらい昭和6年(1931年)に上京する。新二は立教大学を中退し、高等商船学校を目指すが、軍人を志し昭和19年(1944年)満洲国に渡り関東軍石頭予備士官学校に入学、同年ソ連軍の攻撃を受けて中国牡丹江にて行方不明となる。

終戦後、いせは東京都大森に居住しながら新二の生存と復員を信じて昭和25年(1950年)1月の引揚船初入港から以後6年間、ソ連ナホトカ港からの引揚船が入港する度に舞鶴の岸壁に立つ。昭和29年(1954年)9月には厚生省の死亡理由認定書が発行され、昭和31年には東京都知事が昭和20年(1945年)8月15日牡丹江にて戦死との戦死告知書(舞鶴引揚記念館に保存)を発行。

昭和49年(1974年新人物往来社から「未帰還兵の母」を発表。昭和51年(1976年)9月以降は高齢と病のため、通院しながらも和裁を続け生計をたてる。息子の生存を信じながらも昭和56年(1981年)7月1日午前3時55分に享年81で死去。「新二が帰ってきたら、私の手作りのものを一番に食べさせてやりたい」と入院中も話し、一瞬たりとも新二のことを忘れたことがなかったことを、病院を見舞った二葉百合子が証言している。

平成12年(2000年)8月に慰霊墓参団のメンバーが、新二が上海市で生存していたことを確認。京都新聞が新二(1926年 - )の生存を報道。中国政府発行、端野新二名義の身分証明書を確認。だが、その人物が本当に新二であるかについてはいまだに疑問がある。平成15年文藝春秋に「『岸壁の母』49年目の新証言」が掲載。

新二はソ連軍の捕虜となりシベリア抑留、後に満州に移され中国共産党八路軍従軍した。その後はレントゲン技師助手として上海に居住。妻子をもうけていた。新二は母が舞鶴で待っていることを知っていたが、帰ることも連絡することもなかった。理由は様々に推測され語られているがはっきりしない。 新二を発見した慰霊墓参団のメンバーは平成8年(1996年)以降、3度会ったが、新二は「自分は死んだことになっており、今さら帰れない」と帰国を拒んだという。旧満州(現中国東北部)の関東軍陸軍石頭(せきとう)予備士官学校の第13期生で構成される「石頭五・四会」会長・斉藤寅雄は「あのひどい戦いで生きているはずがない」と証言し、同会の公式見解では「新二君は八月十三日、夜陰に乗じて敵戦車を肉薄攻撃、その際玉砕戦死しました」と述べられている(北國新聞社平成18年(2006年)10月4日)。


  1. ^ 長田暁二『歌謡曲おもしろこぼれ話』社会思想社、2002年、109頁。ISBN 4390116495
  2. ^ a b c d e f 引退後も素晴らしいお弟子さんに恵まれて 幸せだなぁと、つくづく思います”. マンション生活情報サイト「Wendy-Net」より「Ms Wendy」 (2014年11月掲載). 2023年6月16日閲覧。
  3. ^ 石原裕次郎、渡 哲也がカラオケを楽しむプライベート音源が奇跡のCD化!発売から早くも通販サイトで1位となるなど大反響!、PRTIMES(株式会社テイチクエンタテインメント)、2019年7月17日 15時56分。


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