菊池章子版とは? わかりやすく解説

菊池章子版

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 06:18 UTC 版)

岸壁の母」の記事における「菊池章子版」の解説

昭和29年1954年9月テイチクレコードから発売され菊池章子レコード岸壁の母」が大流行100万以上)した。 作詞した藤田まさとは、上記端野いせインタビュー聞いているうちに身につまされ母親愛の執念への感動と、戦争へいいようのない憤り感じてすぐにペン取り、高まる激情抑えつつ詞を書き上げた歌詞読んだ平川浪竜(ひらかわ・なみりゅう)は、これが単なるお涙頂戴式の母ものでないと確信し徹夜作曲翌日持参した。さっそく視聴室でピアノ演奏し重役文芸部長・藤田まさとに聴いてもらった聴いてもらったはいいが、何も返事がなかった。3人は感動涙していたのであった。そして、これはいけると確信を得、早速レコード作り動き出した歌手には専属菊池章子選ばれた。早速、レコーディング始まったが、演奏が始まると菊池泣き出した何度しても同じであった放送舞台で披露する際も、ずっと涙が止まらなかった。菊池曰く事前に発表される復員名簿に名前がなくても、「もしやもしやにひかされて」という歌詞通り生死不明のわが子を生きて帰ってくると信じて東京から遠く舞鶴まで通い続けた母の悲劇を想ったら、涙がこぼれますよ」と語っている。 昭和29年9月発売同時に、その感動日本中を感動の渦に巻き込んだ菊池レコード発売されたとき、「婦人倶楽部」の記者端野いせ住所探し出してもらい、「私のレコード差し上げたい」と手紙送った。しかし、端野返事は「もらっても、家にはそれをかけるプレーヤーもないので、息子の新二が帰ってきたら買うからそれまで預かって欲しい」というものであった菊池はみずから小型プレーヤー購入し端野寄贈した

※この「菊池章子版」の解説は、「岸壁の母」の解説の一部です。
「菊池章子版」を含む「岸壁の母」の記事については、「岸壁の母」の概要を参照ください。

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