菊池病の発見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 07:18 UTC 版)
1970年、菊池昌弘は九州大学第二病理学の研究室において、悪性リンパ腫と紛らわしい組織像を示している特殊なリンパ節病変を発見し、この研究をまとめて、1972年の日本血液学会誌に「特異な組織像を呈するリンパ節炎について」として発表した。その後、日本以外にも必ずこの疾患が存在すると考え、それを確かめるために単身ドイツに渡って調査し、1979年、師のレンネルト教授を訪れ、膨大な数のリンパ節標本を再検討した結果、ヨーロッパにおいても同様のリンパ節炎があることを確認した。 レンネルト教授はこの研究成果をきわめて高く評価し、1982年秋のドイツ病理学会において、初めて”Kikuchi's lymphadenitis”という名称を用いて特別講演を行い、これが契機となって、欧米で”Kikuchi's disease(菊池病)”の名称(正式名称は「組織球性壊死性リンパ節炎」)が急速に広まり、全世界的に研究が進められるようになった。
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