学園前 (奈良市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/17 06:27 UTC 版)
近鉄奈良線学園前駅を中心とする。西ノ京丘陵の一部にあたり、近鉄主導で1950年ごろから宅地開発が行われた。同駅は特急停車駅であり、大阪市まで30分弱という立地の良さから、近隣の登美ケ丘や帝塚山と共に街並みが広がる。
「学園前」の名前の由来となった帝塚山学園は、学園前駅の南口から徒歩1分である。
地勢
位置
学園前は奈良県の北西部、奈良市西部から生駒市にまたがって位置する。地域の中心となる学園前駅は奈良市の西部にあり、直線距離で奈良市役所までは約5km、生駒市役所までは約4.5km離れている。大阪市中心部から25km圏内、神戸市中心部から55km圏内、京都市中心部から40km圏内、奈良市中心部から10km圏内に位置するため、学園前駅から電車に乗車すると大阪難波駅まで30分弱、京都駅まで40分強、近鉄奈良駅まで約10分の所要時間で到着できる。各住宅地と学園前駅との間は、奈良交通の路線バスで移動できる。
さらに2006年に開通した近鉄けいはんな線を利用すれば、学園前駅の北約3kmに所在する学研奈良登美ヶ丘駅や北西約4kmに所在する学研北生駒駅からはOsaka Metro中央線本町駅まで40分弱で移動できる。
学園前駅南側には奈良市役所西部出張所が設置されており、奈良市西部地区の行政サービスの拠点となっている。 現在の「学園前」は旧生駒郡の富雄町東部、伏見町北部、平城村西部(以上、現奈良市)、北倭村南部(現生駒市)[1]に相当する地域である。旧自治体の境界線が通る地域が開発されたため、奈良市域に学園地区自治連合会を設立する際、旧自治体ごとの自治連合会との折衝が紛糾し、最終的には強引にまとめ上げたという逸話が残っている。また、西部出張所の前身は学園地区自治連合会の要望により設置されたが、このような学園前の立地に起因する問題が噴出し、設置までには相当な努力が必要だったという[2]。
範囲
学園前は学園前駅を中心とする一帯の地域名であると認知されており、自治体の資料[3][4]、新聞[5][6]、住宅情報誌[7]などにその名が登場する。しかし、自治体が告示などで定めた正式な地名ではないため、学園前の範囲は一意に定義できない。1982年に発行された文献[8]では当時の奈良市西部出張所長への短いインタビューを交え、学園前の範囲には以下の3説があると述べている。
— 朝日新聞、「8. もっと奥も」『奈良新風土記 学園前』奈良1P版 1982年9月9日
- 主導で開発を行った近鉄がお墨付きを与えた地域。
- 奈良市役所西部出張所管轄の行政区画(富雄、あやめ池、学園、登美ヶ丘)のうち学園地区、登美ヶ丘地区に相当する地域。
- 学園前駅を利用する人々が住む範囲。学園前駅行バス路線の始発地点を含む地域。
1970年に発行された文献の中で森田勝(元学園地区自治連合会長で当時の奈良市議会議員)は学園前の範囲を定義するのは困難であると前置きした上で、上記 3. の説では漏れる地域があるとし「学園前駅前のショッピングセンターを利用される方々の住む範囲」を学園前と定義している[2][9]。
奈良市公式Webページでは奈良市の都市計画の例として学園前を取り上げている。このページでは学園前駅より北方・南方に離れた地区の開発を「学園前開発の流れ」として説明し、学園前駅周辺の住宅開発時期を地図と年表でまとめている[4]。 このページに掲載されている地図が示すのは以下の範囲である。(開発年代順に並べた上、2008年現在の地名に置き換えて記述している。)
学園南、学園北、百楽園、登美ヶ丘、鶴舞西町・鶴舞東町、学園大和町、千代ヶ丘、西登美ヶ丘、東登美ヶ丘、中登美ヶ丘、南登美ヶ丘、藤ノ木台、中山町西、学園前緑ヶ丘、朝日町、松陽台[10]、学園中、北登美ヶ丘
生駒市北東部(真弓、真弓南、北大和)は学園前住宅地の延長として開発、分譲が行われ[11][12]、当初の主な公共交通手段は学園前駅行きの奈良交通バスのみであったが、2006年にけいはんな線が開業し、バス・学園前駅の利用からの転換が進んだ[13]。
また、一部不動産会社や交通機関は奈良市西部と生駒市を合わせた地域を「学園前・生駒エリア」[14][15]、「生駒駅〜学園前駅エリア」[16]と称する。
住友不動産販売による「生駒駅〜学園前駅エリア」の範囲は学園前駅、富雄駅、東生駒駅、生駒駅の4駅を最寄り駅とする地域である[16]。奈良交通による「学園前・生駒エリア」の定義では前述4駅に加えて菖蒲池駅、学研奈良登美ヶ丘駅、学研北生駒駅、白庭台駅を最寄り駅とする地域であり、これは北大和営業所の運行管轄範囲と一致する[15]。SANKO(山晃住宅)も、同様の8駅を最寄り駅とする地域を「学園前・生駒エリア」としている[14]。
人口
年度 | 伏見 | あやめ池 | 学園 | 登美ヶ丘 | 富雄 | 平城 | 平城NT | 神功 | 右京 | 朱雀 | 左京 | 奈良市全体 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1961年 | 11166 | 8383 | 4885 | 137413 | ||||||||
1963年 | 12767 | 11659 | 5610 | 147110 | ||||||||
1965年 | 7824 | 3771 | 12681 | 8733 | 5994 | 161587 | ||||||
1970年 | 15348 | 4534 | 31169 | 19007 | 7595 | 207819 | ||||||
1972年 | 17527 | 4884 | 34425 | 23138 | 8994 | 1103 | 226643 | |||||
1975年 | 19345 | 5191 | 23142 | 18615 | 26637 | 11230 | 6839 | 256083 | ||||
1980年 | 21169 | 5385 | 25257 | 20587 | 37995 | 13993 | 2589 | 6358 | 2238 | 4 | 297156 | |
1985年 | 24571 | 7042 | 26707 | 21737 | 44744 | 16151 | 3094 | 7800 | 4942 | 177 | 326290 | |
1990年 | 25475 | 7530 | 27257 | 23643 | 50897 | 17480 | 4404 | 7618 | 6878 | 2888 | 349675 | |
1995年 | 26582 | 7914 | 27158 | 23384 | 52510 | 18312 | 4874 | 7169 | 7653 | 5436 | 361696 | |
2000年 | 27001 | 8212 | 28737 | 24226 | 55564 | 19037 | 6040 | 6650 | 7426 | 6295 | 368562 | |
2005年 | 27609 | 8553 | 28182 | 24192 | 57326 | 19377 | 6105 | 5803 | 7350 | 6386 | 373189 |
註1: 伏見・富雄・平城は奈良市に合併される前の旧町村を引き継いだ地区を示す。その他の地区は伏見・富雄・平城のいずれかから区割りされた地区となっている。
註2: 学園前と呼ばれる地域には上記の平城地区の西端が含まれていたため、この表では平城地区、そして平城地区から分かれた平城ニュータウン地区の人口を掲載している。しかし、平城ニュータウンは奈良警察署や奈良市役所北部出張所の所轄であり、最寄り駅も学園前駅ではなく高の原駅であるため、学園前周辺には含まないのが通常である。平城ニュータウンは一般的に同じ奈良警察署近鉄高の原駅前交番・奈良市北部出張所[要出典]管轄の佐保台を含む。
地理
地形
学園前のある奈良盆地北西部の地形を西から東へ概観すると、主脈の生駒山地、矢田丘陵、そして西ノ京丘陵と続く。生駒山地は海抜平均400m、矢田丘陵は海抜200-300m前後、一番東の西ノ京丘陵は海抜100m前後で、奈良盆地へ至る。学園前はこの丘陵地帯のうち、西ノ京丘陵に所在する。
西ノ京丘陵の東側には平城京の西の堀川と呼ばれた秋篠川が南北に流れ、西側には聖徳太子の時代、富の小川と呼ばれた富雄川が南北に谷を形成している。西ノ京丘陵は秋篠川と富雄川に挟まれ、南北に細長い形をしている。北方の京都府南部付近が一番東西に幅広く丘陵が広がっており、奈良市に入ると幅4km程度、南下するほど幅が狭くなり、最終的には幅1km程度で郡山城付近に達している。丘陵の南北の全長は約18km[19]である[20]。
学園前はこの全長約18km[19]のうち、北部から中央部にわたる東西幅約2km、南北約8kmの細長い場所に住宅地を形成している。学園前の最高地は北部北登美ヶ丘や真弓付近で約180m前後である。学園前駅付近では150m、南部では100m位である[20]。
西ノ京丘陵の分水嶺は丘陵の西側に片寄っており、分水嶺より西側では分水嶺から富雄川まで500mくらいの距離で急斜面を形成している。一方、分水嶺より東側は緩やかな斜面になっており、分水嶺から秋篠川まで2kmに達する箇所がある。分水嶺から東側では秋篠川方向に小川が流れ、侵食谷を形成している。西ノ京丘陵ではこれら侵食谷に水田が形成された。これら侵食谷は奈良盆地周辺の特徴にもれず水源地が浅いため水不足になることが多く、不足分を補うための溜池が各地に構築されている(後述)。近鉄不動産の社長であった泉市郎はこの東側の緩やかな斜面を「住宅地にとって理想的な地形」と評している[20]。
地質
学園前のある西ノ京丘陵の地層は更新世にできた砂礫層を主とし、一部粘土層となっている。この地層は山麓が砂礫層で中央部が花崗岩である矢田丘陵、花崗岩や斑糲岩でできた生駒山地よりも侵食されやすい。生駒山地、矢田丘陵、西ノ京丘陵のうち西ノ京丘陵が一番低い丘陵となっているのは一番侵食されやすかったからである。やわらかい砂礫層は宅地造成に適しており、地形だけでなく地層も住宅地にとって好条件であった。また、学園前の東南部には他の地域と比較して粘土層が多く挟まれている地域がある。この地域は赤膚山と呼ばれ、粘土層から産出される粘土を用いて赤膚焼が製造されている[20]。
気候
学園前は奈良盆地と同じく内陸性気候である。奈良、大和郡山、生駒市高山の気象観測所の観測資料から概観すると、気温は年平均13℃前後、夏と冬との気温の差が大きい内陸性気候を示す。風向は北西の風が多く、冬の乾燥した季節風が強い。この風を「生駒颪」と呼ぶ。この生駒颪の影響で奈良地方気象台のある奈良市中部に比べ生駒山に気候が近く、標高に対する気温減率に反する。冬季は昼間に生駒颪が吹き、朝晩に無風なため放射冷却が奈良盆地より強く、結果的に奈良地方気象台のある奈良市街地に比べて2~3℃気温が低くなる。最寒月の平均気温は1.5℃。(奈良が3.8℃、生駒山頂が0.8℃)夏季は奈良盆地と同じく気温は高いが、夜間にやや肌寒くなる。降水量は年平均総量1450mmくらいで、全国平均よりも少ないほうである。降水量が少ない影響で奈良盆地やその周辺では乾燥しやすく、また大きな河川が存在しないため水不足に悩むことが多かった。宅地開発以前は灌漑用水の不足、宅地開発後は上水の不足に悩んだ[20]。奈良の水不足を表現した「大和豊作米喰わず」ということわざが伝わる。大和国が水に恵まれ豊作になると他の地域では雨が多すぎて凶作になり、米の値段が上がって庶民は米が食べられなくなるという意味である[21]。
植生
学園前は奈良県植物地理区のうち奈良北部植物区-生駒金剛植物区-西ノ京丘陵区に属する。西ノ京丘陵区は砂礫層を主とするため植物の生育に適しておらず、アカマツ林や雑木林を主とする植物区である。特に学園前では、開発前から開発初期にかけて、周囲に広がるアカマツ林でのマツタケ狩りが観光資源となっていた。他にマツを切り出して炭にするための炭焼窯が駅の北側に存在したという。また、2008年現在「学園赤松町(旧富雄町大字二名小字赤松)」という地名が残っている[22][23]。
社寺にはアラカシ、シラカシ、ヤブニッケイ、ヤブツバキ、ネズミモチなどの暖地性常緑広葉樹による林が構成される。雑木林にはクヌギ、コナラのほか、コバノミツバツツジ、シャシャンボ、ヒサカキ、マルバハギ、ネザサなどが見られる。登美ケ丘高等学校、登美ケ丘北中学校の校章は所在地周辺に成育していたツツジ、コバノミツバツツジを意匠化している[23][24][25]。
河川・溜池
学園前には大規模な河川は存在しないが、侵食谷による小さな河川がいくつか存在する。また、侵食谷による河川を堰き止めた大型の溜池がいくつか残っている。一覧を以下に示す。
- 河川
- 溜池
学園前付近のパノラマ画像
- ^ 町村名は昭和の大合併前の自治体名を記した。
- ^ a b 住井編『学園前のあゆみ』34頁
- ^ 奈良県『奈良県宅地供給計画 学園前地区 策定報告書』
- ^ a b 奈良市 Webページ 『古今奈良の都市計画今昔物語 - 学園前の住宅開発経緯』
- ^ 朝日新聞社編『奈良新風土記 学園前』
- ^ 西田大智、実森出『ふるさとはニュータウン』
- ^ リクルート『住宅情報style. 関西版』
- ^ 朝日新聞社編「8. もっと奥も」『奈良新風土記 学園前』朝日新聞 奈良1P版 1982年9月9日 閲覧
- ^ 森田勝によると、1970年当時、百楽園の西部では富雄駅を最寄としていたという。1986年に学園前駅から百楽園へ向かうバスが大幅に増発されたため、2008年現在とは事情が異なる。
- ^ 参考文献に掲載されている図では二名町(真弓)と記載されている。
- ^ “北大和住宅地 財団住宅祭”. 2023年10月17日閲覧。
- ^ “北大和分譲住宅の購入・売却ならノムコム”. www.nomu.com. 2023年10月17日閲覧。
- ^ “- 3) けいはんな線沿線の開発状況 ②学研北生駒駅周辺,④バス路線の再編”. 内閣府. 2023年11月17日閲覧。
- ^ a b “学園前・生駒エリア|転勤者の方へ”. 奈良の賃貸 SANKO. 2021年2月16日閲覧。
- ^ a b “運行系統図 - 奈良バスなびweb”. 奈良交通. 2021年6月25日閲覧。
- ^ a b “近鉄奈良線「生駒駅~学園前駅エリア」(あの街プロフィール)”. 住友不動産販売. 2021年2月16日閲覧。
- ^ 奈良市『奈良市統計書』
- ^ 奈良市『統計なら』
- ^ a b 参考文献には8kmとあるが明らかに誤植である。国土地理院の5万分の1の地形図で、丘陵の北端である京田辺市の松井山手駅から大和郡山市の郡山城までの直線距離を実測したところ20kmであった。よって8kmではなく18kmの誤植であると考えられる。(執筆者註: 18kmを証明する参考文献を求む。)
- ^ a b c d e f g 参考文献『学園前のあゆみ』による。
- ^ 松川 『平城京跡の村 秋篠川流域』 132頁
- ^ 住井編『学園前のあゆみ』10頁
- ^ a b 奈良県史編集委員会編『奈良県史』236-237, 253頁
- ^ 登美ケ丘高等学校『創立十周年記念誌』
- ^ 登美ケ丘北中学校Webページを参考
- ^ a b 『ニュータウン 奈良学園前』より
- ^ 参考文献『産経新聞』より
- ^ 豊中市より
- ^ 近畿日本鉄道編『50年のあゆみ』
- ^ 奈良市『奈良市都市計画』
- ^ 近畿日本鉄道編『最近20年のあゆみ』
- ^ 高橋『ニュータウン - 奈良学園前 -』
- ^ 住井編『「学園前産土の森」あゆみ 続編』
- ^ 関西電力、2002年、1098頁
- ^ 産経新聞、2005年
- ^ 関西地方電気事業百年史編纂委員会、1987年、116頁、486頁
- ^ 関西電力、2002年、128頁
- ^ 学園南中自治会,
- ^ 近鉄系列の中華料理店。学園前店は閉店したが、2008年現在でも奈良県、大阪府、東京都などに店舗を持つ。
- ^ a b 『角川地名大事典 奈良県』より
- ^ a b 『富雄町史』より
- ^ 添御県坐神社 公式サイト
- ^ 添御縣坐神社 地域情報ネットワーク株式会社おすすめエリア
- ^ a b 参考文献『最近20年のあゆみ: 創業70周年記念』による。
- ^ 参考文献「ふるさとはニュータウン 大和の20世紀(連載全10回)」による。
- ^ 1973年に開校した2代目の二名小学校。奈良市立富雄北小学校の前身とは異なる。
- ^ 近鉄では2008年現在においても全ての駅に駅長を置かず、駅長配置駅の駅長が複数の駅を管轄する方式が採られている。
- ^ a b c d e f g h “町の区域及び名称の変更について”. 奈良市例規集(奈良県) (1990年10月19日). 2023年9月13日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j “町の区域及び名称の変更について”. 奈良市例規集(奈良県) (1992年10月30日). 2023年9月13日閲覧。
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