佐双左仲 佐双左仲の概要

佐双左仲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/19 01:50 UTC 版)

生前の功績により、嗣子である佐双定雄に男爵が授けられ、華族に列した。

経歴

金沢藩士・堀尾治郎兵衛の四男として生まれ、佐双久右衛門の養子となる。

1869年海軍兵学寮に入学。1871年から1878年までイギリスに留学。1879年1月、海軍中機関士に任官。海軍省主船局造船課長、欧州出張、艦政局造船課長、海軍省第2局第2課長、横須賀鎮守府造船部長、海軍省第2局第1課長、第2局第2課長、軍務局第3課長などを歴任し、1896年4月、造船大監。

軍務局造船課長を経て、1897年12月、造船総監となった。以後、欧州出張(造船監督官)、艦政本部第3部長を勤めて、在任中に死去した。日本海軍最初の技術武官の一人で、中将相当官(造船総監)に初めて就任した人物でもあった。1899年3月、工学博士号取得。墓所は青山霊園(1ロ17-5-13)。

栄典・授章・授賞

位階
勲章等

備考

1907年10月、生前における日清日露両役の功により、嗣子定雄に男爵位を授けられた。

親族

参考文献

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。

  1. ^ 『官報』第5644号「叙任及辞令」1902年5月1日。
  2. ^ 『官報』第6687号「叙任及辞令」1905年10月11日。
  3. ^ 『官報』第1936号「叙任及辞令」1889年12月10日。
  4. ^ 『官報』第2680号「叙任及辞令」1892年6月6日。
  5. ^ 『官報』第3862号・付録「辞令」1896年5月16日。
  6. ^ 『官報』第5548号「叙任及辞令」1901年12月28日。
  7. ^ 中野文庫 - 旧・勲一等旭日大綬章受章者一覧(戦前の部)
  8. ^ 『官報』第6704号「叙任及辞令」1905年11月1日。


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