中観派 中観派の教理

中観派

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/02 03:32 UTC 版)

中観派の教理

新しい「縁起」と「中観」

中観派の教理は、般若経の影響を受けたものであり、その根幹は、「縁起」「無自性)」である。

この世のすべての事象・概念は、「陰と陽」「冷と温」「遅と速」「短と長」「軽と重」「止と動」「無と有」「従と主」「因と果」「客体と主体」「機能・性質と実体・本体」のごとく、互いに対・差異となる事象・概念に依存し、相互に限定し合う格好で相対的・差異的に成り立っており、どちらか一方が欠けると、もう一方も成り立たなくなる。このように、あらゆる事象・概念は、それ自体として自立的・実体的・固定的に存在・成立しているわけではなく、全ては「無自性」(無我・)であり、「仮名(けみょう)」「仮説仮設(けせつ)」に過ぎない。こうした事象的・概念的な「相互依存性(相依性)・相互限定性・相対性」に焦点を当てた発想が、ナーガールジュナに始まる中観派が専ら主張するところの「縁起」である。

こうした理解によって初めて、『中論』の冒頭で掲げられる「八不」(不生不滅・不常不断・不一不異・不来不去)の意味も、難解とされる『中論』の内容も (そしてまた、それを継承しつつ成立した『善勇猛般若経』のような後期般若経典や、大乗仏教全体に広まった「無分別」の概念なども)、適切に理解できるようになる。

上記したように、二項対立する現象・概念は、相互に依存・限定し合うことで、支え合うことで、相対的に成立しているだけの、「幻影」のごときものに過ぎず、自立的なものではないので、そのどちらか一方を信じ込み、それに執着・傾斜してしまうと、必ず誤謬に陥ってしまうことになる。

そのことを示しつつ、上記の「八不」のごとき、(常見断見のような)両極の偏った見解(二辺)のいずれか一方に陥らず、「」(中道)の立場を獲得・護持することを賞揚するのが、『中論』及び中観派の本義である。

この「無自性(空)」の教えは、これ以後大乗仏教の中心的課題となり、禅宗チベット仏教などにも大きな影響を与えた。

成立経緯

こうしたナーガールジュナの『中論』に提示される、新しい「縁起」観は、説一切有部を中心とした部派に対する論駁を発端とする[要出典]

中村元は、中論は論争の書であるとし[18]、その主要論敵は説一切有部であるとしている[19]。中観派は、自己の反対派を自性論者や有自性論者と総称しているが、これらは事物や概念の自性すなわち自体や本質が実在すると主張する人々であり、中論はこれに対して無自性を主張した[19]。中村によれば、説一切有部は有自性論者の代表であるという[19]

部派仏教の時代、釈迦の説いた縁起説が発展・変質し、その解説のための論書(アビダルマ)が様々に著されていくことになるが、当時の最大勢力であった説一切有部などでは、生成変化する事象の背後に、それを成立せしめるための諸要素として、変化・変質しない独自・固有の相を持った、イデアのごとき形而上的・独立的・自立的な基体・実体・性質・機能としての「」(ダルマ, dharma)が、様々に想定され、説明されていくようになった(五位七十五法、三世実有・法体恒有)。こうした動きに対して、それが「常見」的執着・堕落に陥る危険性を危惧し、(『成実論』等にその思想が表されている経量部などと共に) 批判を加えたのが、ナーガールジュナである。

『中論』は論駁の書であり、説一切有部らが説く、様々な形而上的基体・実体・性質・機能である「法」(ダルマ, dharma)の自立性・独立性、すなわち「有自性」「法有」に対して、そうしたものを想定すると、矛盾に陥ることを帰謬的論法(プラサンガ)で以て1つ1つ示していき、「法」(ダルマ, dharma)なるものも自立的・独立的には成立しえず、相互依存的にしか成立し得ないこと、すなわち「無自性」「法空」を説く。

こうして、形而上的基体・実体・性質・機能としての「法」(ダルマ, dharma)すらも含む、ありとあらゆるものの徹底した相互依存性・相対性をとなえる、新たな独特の「縁起」観、そして、それに則る「中観」という発想が、成立することになる。[要出典]

究極的真理としての「真諦」(第一義諦・勝義諦)

しかし一方で、こうした徹底した相互依存性・相対性に則ると、当然の帰結として、(『中論』24章の冒頭でも論敵による批判として触れられているように) 釈迦自身がとなえた教え(四諦涅槃四向四果四沙門果)等)すらもまた、相対化してしまうことになる。

こうした問題は、『中論』24章冒頭にそれが取り上げられていることからも分かるように、ナーガールジュナ自身にも強く意識されていた。そこで、『中論』24章にも書かれているように、ナーガールジュナはここで、「二諦」(satya-dvaya, サティヤ・ドヴァヤ)という発想を持ち込み、「諦」(真理、satya, サティヤ)には、

  • 世俗の立場での真理 --- 「俗諦」(世俗諦、saṃvṛti-satya, サンヴリティ・サティヤ): 分別智vikalpa-jñāna
  • 究極の立場から見た真理 --- 「真諦」(第一義諦・勝義諦paramārtha-satya, パラマールタ・サティヤ): 無分別智nirvikalpa-jñāna

の2つがあり、釈迦が悟った本当の真理の内容は、後者、すなわち自分達が述べているような、徹底した相互依存性・相対性の感得の果てにある(概念・言語表現を超えた)「中観」(「無分別」)の境地に他ならないが、世俗の言葉・表現では容易にはそれを言い表し得ず、不完全に理解されて凡夫を害してしまうことを恐れた釈迦は、あえてそれを説かずに、前者、すなわち従来の仏教で説かれてきたような、凡夫でも理解出来る、レベルを落とした平易な内容・修行法を、(方便として)説いてきた(が、釈迦の説を、矛盾の無いように、よくよく精査・吟味していけば、我々の考えこそが正しいことが分かる)のだという論を展開した。

中観派は、説一切有部からは都無論者(一切が無であると主張する論者)と評された[20]。また、経部の『倶舎論』およびそれに対するサンスクリット文註釈は、「中の心を有する人」を仏教内における異端説であるときめつけている[20]。中観派は、中観派と同じ大乗仏教に属するヨーガ行派スティラマティからも「一つの極端説に固執する極端論」と評され、ダルマパーラからは「唯識の理に迷謬せる者」、「非有を執している」と評され、ジナプトラらの瑜伽師地論釈では「空見に著している」と評された[20]。中観派は何となく気味の悪い破壊的な議論をなす虚無論者である、という説は既に古代インド一般にいわれていたことである[20]

天台宗の三諦偈と中道

なお、天台宗三諦偈による中道の解釈はナーガールジュナの原意を得ていないとする議論もある[21]

中観派においては、または中道という概念が重要な位置を占めているが、『中論』において中道という語は第24章の第18詩に1回出てくるのみである[22]

どんな縁起でも、それをわれわれはと説く。それは仮に設けられたものであって、それはすなわち中道である。 — ナーガールジュナ『中論』第24章第18詩[22]

これをクマーラジーヴァは、「衆因縁生の法、我即ち是れ無なりと説く。亦た是れ仮名(けみょう)と為す。亦た是れ中道の義なり」と訳したが、中国ではこれが後に多少変更されて、

因縁所生の法、我即ち是れ空なりと説く。亦た是れ仮名と為す。亦た是れ中道の義なり — [22]

という文句にして一般に伝えられている[22]。この詩句(変更後のもの)は中国の天台宗の祖とされる慧文禅師によって注意された[22][注釈 2]。天台宗では、この詩句は空・仮・中の三諦を示すものとされ、三諦偈と呼ばれるようになった[22]。中村元によれば、三諦偈の趣旨とは、

因縁によって生ぜられたもの(因縁所生法)は空である。これは確かに真理であるが、しかしわれわれは空という特殊な原理を考えてはならない。空というのも仮名であり、空を実体視してはならない。故に空をさらに空じたところの境地に中道が現れる。因縁によって生ぜられた事物を空ずるから非有であり、その空をも空ずるから非空であり、このようにして「非有非空の中道」が成立する。すなわち中道は二重の否定を意味する。 — [22][注釈 3]

ということであり、中国以来、ほぼこのように伝統的に解釈されてきたという[22]

その解釈がナーガールジュナの原意を得ているかどうかについて、中村元は『中論』の原文とチャンドラキールティの註釈などを用いて検討し[23]、結論としては、インドの緒註釈によってこの『中論』第24章第18詩の原意を探るならば、この詩句は縁起・空・仮名・中道という4つの概念が同趣意のものであるということを説いたにほかならず、天台宗や三論宗が後世の中国で説いたように「空をさらに空じた境地に中道が現れる」と考えたのではなかったことが明らかであるとしている[24]


注釈

  1. ^ たとえば、義浄はインドに中観と唯識ありと伝え、天台宗智顗は龍樹の『中論』を解釈して空観・仮観・中観の三観説を唱えた[4]
  2. ^ 三論宗もこの変更語の詩句を採用している[22]
  3. ^ 太字部分は、原典では傍点。
  4. ^ 市井三郎訳『西洋哲学史』 上巻 p.205に所収[38]

出典

  1. ^ ブリタニカ『中観派』 - コトバンク
  2. ^ a b c d e f g h i j 総合仏教大辞典編集委員会 『総合仏教大辞典』 法蔵館、1988年1月、994-995頁。
  3. ^ 中村元『現代語訳 大乗仏典7 論書・他』東京書籍、11頁, 14-15頁。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m 中村元ほか(編)『岩波仏教辞典』(第二版)岩波書店、2002年10月、705-706頁。 
  5. ^ a b c d e f g h 中村元 『広説佛教語大辞典』中巻 東京書籍、2001年6月、1179-1180頁。
  6. ^ a b 中村・2005年250頁
  7. ^ a b c d e 斎藤明「中観思想の成立と展開」『シリーズ大乗仏教6 空と中観』高崎直道監修、桂紹隆・斎藤明・下田正弘・末木文美士編著、春秋社、2012年、7-10頁。
  8. ^ madhya (मध्य). spoken sanskrit dictionary.
  9. ^ 中村元『広説仏教語大辞典』東京書籍、2001年6月、1183頁。 
  10. ^ 総合仏教大辞典編集委員会(編)『総合仏教大辞典』(第一版)法蔵館、1988年1月、997頁。 
  11. ^ 赤羽 2012, pp. 1230–1231.
  12. ^ 赤羽 2012, pp. 1220–1230.
  13. ^ mAdhyamika (माध्यमिक). spoken sanskrit dictionary.
  14. ^ madhyamikA (मध्यमिका). spoken sanskrit dictionary.
  15. ^ 中観派 - 大正新脩大蔵経テキストデータベース。
  16. ^ a b 立川武蔵 『空の思想史』 講談社学術文庫、65-66頁。
  17. ^ 中村・2005年 250-252頁
  18. ^ 中村・2005年 76頁
  19. ^ a b c 中村・2005年 81頁
  20. ^ a b c d 中村・2005年 68-71頁
  21. ^ 中村・2005年 252, 257-258頁
  22. ^ a b c d e f g h i 中村・2005年 250-252頁
  23. ^ 中村・2005年 252-258頁
  24. ^ 中村・2005年 257-258頁
  25. ^ a b c d e f g 中村・2005年 430-435頁
  26. ^ a b 江島 1990, pp. 101–103.
  27. ^ 中村元ほか編 『岩波仏教辞典 第一版』 岩波書店、1989年12月、567頁。
  28. ^ 森山 2007, pp. 53–54.
  29. ^ a b c d 森山 2017, pp. 1–2.
  30. ^ a b 森山 2001, pp. 41–42.
  31. ^ 世界大百科事典 第2版『ハリバドラ』 - コトバンク
  32. ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)『アティーシャ』 - コトバンク
  33. ^ 望月 2006, pp. 85–90.
  34. ^ a b 四津谷 2008, p. 538.
  35. ^ 小林 2005, pp. 492–491, 486.
  36. ^ a b c d e f g h 中村・2005年 434-435頁
  37. ^ 『龍樹』中村元 講談社学術文庫 p436-450
  38. ^ a b c d e 中村・2005年 438-439頁
  39. ^ a b c d e f g h i j k 中村・2005年 458-459頁(文献案内)





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