マイク・イースラー マイク・イースラーの概要

マイク・イースラー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/16 23:19 UTC 版)

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マイク・イースラー
Mike Easler
フィラデルフィア・フィリーズ時代
(1987年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 オハイオ州クリーブランド
生年月日 (1950-11-29) 1950年11月29日(70歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
195 lb =約88.5 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手一塁手
プロ入り 1969年 MLBドラフト14巡目(全体314位)でヒューストン・アストロズから指名
初出場 MLB / 1973年9月5日
NPB / 1988年5月19日
最終出場 MLB / 1987年10月4日
NPB / 1989年8月31日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

同じくプロ野球選手のクリフ・ジョンソンは義兄弟にあたる[1]

経歴

1969年MLBドラフト14巡目(全体314位)でヒューストン・アストロズに入団し、1973年9月5日レッズ戦(アストロ)で、延長11回裏にスキップ・ジャッツの代打でメジャーデビューを果たすが、結果はピッチャーゴロに終わり、この試合の最後の打者となった。ピッツバーグ・パイレーツ時代の1980年にレギュラーに定着し、6月12日のレッズ戦(リバーフロント)でサイクル安打を記録。1981年にはMLBオールスターゲームに出場。6回裏の守備から出場し、2打数1安打1四球1得点を記録。メジャーでは実働14年で6球団を渡り歩き、学生時代から「ザ・ヒットマン」の異名でも知られていた。

1988年シーズン途中、トニー・ブリューワブライアン・デイエットがことごとく怪我で戦線離脱し外国人助っ人選手が不足していたNPB日本ハムファイターズに入団。NPBデビュー戦となった5月19日ロッテ戦(川崎)で1回表に小川博から初打席本塁打を記録し、同年は3番・田中幸雄、5番・大島康徳クリーンナップを組み、結局デビュー戦から最終戦まで全て4番・指名打者でスタメン出場を果たした。シーズン最終戦の最終打席で規定打席に到達し、いずれもチームトップの打率.304、19本塁打を残し、当時貧弱であったファイターズ打線の中で気を吐き前年に続くAクラス入りに大きく貢献。極端なアッパースイングでフォロースルーでバットをすくい上げる独特のフォームが話題となり[2]1989年も開幕から主軸を打っていたが、当時38歳の高齢と相次ぐ怪我に泣かされ出場機会も減り、最後は肋骨亀裂骨折で戦線離脱したまま現役を引退[2]

引退後はA+マイアミ・ミラクル監督(1990年)、ミルウォーキー・ブルワーズ1992年)→ボストン・レッドソックス1993年 - 1994年)打撃コーチ、セントルイス・カージナルス打撃コーチ(2000年 - 2001年)を務めた。カージナルス退団後はフロンティアリーグフローレンス・フリーダム監督(2004年)、ドジャース傘下2Aジャクソンビル・サンズ2006年)→3Aラスベガス・フィフティワンズ2007年)→ドジャース(2008年)打撃コーチを務めた。2008年1月22日に打撃コーチとして発表されたドン・マッティングリーが個人的な理由で就かないことを選択したため、ジョー・トーリ監督が新しい打撃コーチとしてイースラーを指名。開幕後は7月9日に解任され、マッティングリーが後任に戻ると発表された。イースラーは残りのシーズンをマイナーリーグの打撃インストラクターとして働いた。2011年メッツ傘下のAAA級バッファロー・バイソンズ打撃コーチを務めた。

イースラーの退団と入れ替わりに日本ハムでプレーしたマット・ウインタースによれば、外国人選手では珍しく納豆が食べられたという(ただし2人の在籍期間が被っていないため、ウインタースがどこで情報を得たかは不明)。

テレビ番組・『とんねるずのみなさんのおかげでした』内の博士と助手〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜では、野球モノマネとして杉浦双亮360°モンキーズ)が「〇〇するイースラー」のネタで度々登場してその独特な打撃フォームを披露していたが後半は実際には確認できていないような状況まで再現することが恒例となっていた。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1973 HOU 6 9 7 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 1 0 4 0 .000 .222 .000 .222
1974 15 15 15 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 5 1 .067 .067 .067 .133
1975 5 5 5 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
1976 CAL 21 59 54 6 13 1 1 0 16 4 1 1 1 2 2 1 0 11 1 .241 .259 .296 .555
1977 PIT 10 19 18 3 8 2 0 1 13 5 0 0 0 1 0 0 0 1 0 .444 .421 .722 1.143
1979 55 62 54 8 15 1 1 2 24 11 0 1 0 0 8 0 0 13 0 .278 .371 .444 .815
1980 132 445 393 66 133 27 3 21 229 74 5 9 0 9 43 6 0 65 7 .338 .396 .583 .978
1981 95 369 339 43 97 18 5 7 146 42 4 7 0 6 24 7 0 45 10 .286 .328 .431 .759
1982 142 526 475 52 131 27 2 15 207 58 1 1 1 4 40 12 6 85 11 .276 .337 .436 .773
1983 115 408 381 44 117 17 2 10 168 54 4 2 1 1 22 1 3 64 10 .307 .349 .441 .790
1984 BOS 156 666 601 87 188 31 5 27 310 91 1 1 1 2 58 4 4 134 8 .313 .376 .516 .892
1985 155 631 568 71 149 29 4 16 234 74 0 1 0 7 53 1 3 129 15 .262 .325 .412 .737
1986 NYY 146 546 490 64 148 26 2 14 220 78 3 2 2 5 49 13 0 87 17 .302 .362 .449 .811
1987 PHI 33 117 110 7 31 4 0 1 38 10 0 1 0 1 6 0 0 20 1 .282 .316 .345 .662
NYY 65 184 167 13 47 6 0 4 65 21 1 0 0 2 14 0 1 32 4 .281 .337 .389 .726
'87計 98 301 277 20 78 10 0 5 103 31 1 1 0 3 20 0 1 52 5 .282 .329 .372 .701
1988 日本ハム 97 403 355 47 108 20 1 19 187 58 1 0 0 3 44 7 1 69 10 .304 .380 .527 .906
1989 45 186 162 19 48 10 0 7 79 32 3 0 0 0 23 2 1 39 4 .296 .387 .488 .875
MLB:14年 1151 4061 3677 465 1078 189 25 118 1671 522 20 26 6 40 321 46 17 696 85 .293 .349 .454 .804
NPB:2年 142 589 517 66 156 30 1 26 266 90 4 0 0 3 67 9 2 108 14 .302 .382 .515 .897

年度別守備成績



一塁(1B) 左翼(LF) 右翼(RF)




































1973 HOU - 1 0 0 1 0 .000 1 1 0 0 0 1.000
1977 PIT - 1 2 0 0 0 1.000 3 5 0 0 0 1.000
1979 - 2 0 0 0 0 ---- 2 0 0 0 0 ----
1980 - 91 135 6 2 1 .986 42 61 1 1 0 .984
1981 - 73 151 12 3 2 .982 24 34 1 1 0 .972
1982 - 137 246 8 7 2 .973 3 0 0 0 0 ----
1983 - 105 156 6 6 1 .964 -
1984 BOS 29 256 29 7 21 .976 - -
1985 - 18 30 0 3 0 .909 2 3 0 0 0 1.000
1986 NYY - 8 17 0 1 0 .944 3 6 0 0 0 1.000
1987 PHI - 30 51 4 1 2 .982 -
NYY - 14 23 1 0 0 1.000 1 1 0 0 0 1.000
'87計 - 44 74 5 1 2 .988 1 1 0 0 0 1.000
MLB 29 256 29 7 21 .976 480 811 37 24 8 .972 81 111 2 2 0 .983
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

MLB
NPB

背番号

  • 22 (1973年 - 1975年、1992年)
  • 10 (1976年)
  • 24 (1977年、1979年 - 1983年)
  • 7 (1984年 - 1985年)
  • 17 (1986年 - 1987年)
  • 6 (1988年 - 1989年)
  • 45 (1993年 - 1994年)
  • 4 (2000年)
  • 19 (2001年)
  • 41 (2008年)

  1. ^ 出野哲也『改訂新版 メジャー・リーグ人名事典』言視社、2013年、30-31頁。ISBN 978-4-905369-67-7
  2. ^ a b プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、47ページ


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固有名詞の分類

アメリカ合衆国の野球選手 ブライアン・ギブンス  アイク・ハンプトン  マイク・イースラー  リー・スミス  マーク・ヘンドリクソン
北海道日本ハムファイターズ及びその前身球団の選手 宮崎昭二  加藤武治  マイク・イースラー  川崎義通  糸数敬作
ニューヨーク・ヤンキースの選手 シドニー・ポンソン  バート・キャンパネリス  マイク・イースラー  リー・スミス  デイブ・リゲッティ
ボストン・レッドソックスの選手 レフティ・グローブ  デビッド・アーズマ  マイク・イースラー  リー・スミス  チック・スタル
フィラデルフィア・フィリーズの選手 トニー・テイラー  トム・ゴードン  マイク・イースラー  ベニート・サンティアゴ  フリオ・サンタナ
ピッツバーグ・パイレーツの選手 リー・タネル  クリス・スナイダー  マイク・イースラー  ベニート・サンティアゴ  ジャック・ウィルソン
ロサンゼルス・エンゼルス及びその前身球団の選手 タイ・バンバークレオ  アイク・ハンプトン  マイク・イースラー  リー・スミス  フレッド・リン
ヒューストン・アストロズの選手 マーク・バルデス  トラビス・ドリスキル  マイク・イースラー  ランス・バークマン  カルロス・リー

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