ブラチスラヴァ 歴史

ブラチスラヴァ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/24 02:03 UTC 版)

歴史

ジェヴィーン城跡
聖マルティン大聖堂
聖エリザベス教会 (青い教会)

新石器時代にこの地域で人類が定住を始め、紀元前400年にはケルト人が生活していた。紀元前125年ごろ、ケルト人が城塞都市(オッピドゥム)をブラチスラヴァの丘陵地帯に設け、ドナウ川一帯のケルト人の中心地の一つになった。1世紀にはローマ帝国の影響下に入ってローマ軍の駐屯地となり、防塁(リーメス)やジェヴィーン城(Devínsky hrad)が建設され、ブドウの栽培が始まった。5世紀から6世紀にかけての民族移動時代スラヴ人西スラヴ人)が定住し、テュルク系とみられるアヴァールとの衝突を経て、スラヴ人によるサモ王国623年-658年)の一部となる。8世紀後半にニトラ公国の一部となったが、のち公国を併合したモラヴィア王国の一部となった。

907年にはハンガリー王国の国境城塞として初めてポジョニの名で文献に登場し、王国の国境の要として戦略上の重要拠点として成長した。11世紀にはスラヴ人住民によってオーストリアとハンガリーの商業中継地としての地位を確立。13世紀にはドイツ人オーストリア人)が多く入植し、1291年に都市法を獲得して中世都市の形を整えた。1405年に王立自由都市となった。ハンガリー王マーチャーシュ1世の時代に文化・経済の中心地として栄え、大学も設置された。

その後オスマン帝国の侵攻でブダが支配されたため、ポジョニは1536年から1784年までハンガリー王国の首都となり、1542年にはハンガリー議会も移転した。1563年から1830年まではハンガリー国王・女王の戴冠式が聖マルチン大聖堂で行われた。ナポレオン戦争中の1805年には、プレスブルクの和約が締結されるが、1809年にはフランス軍が侵攻して占領され、プレスブルク城1811年に駐屯フランス軍の失火による大火災が発生して荒廃する。

一方でこのころから開花したスロバキア人文化の中心地として発展し、スラヴ語による文学講座などが行われた。1828年にはのちにスロバキア民族運動の指導的役割を果たす「スロバキア学生協会」が発足。1843年には詩人で言語学者のリュドヴィート・シュトゥール(Ľudovít Štúr)が中部スロバキア方言をもとにスロバキア語の文語を完成させ、民族の啓蒙にあたる。また1840年には馬車鉄道が、1848年には鉄道が開業。19世紀末から20世紀にかけて路面電車、トロリーバスの運行も始まり、近代化が進められた。

ブラチスラヴァ城

第一次世界大戦後のオーストリア=ハンガリー帝国の解体にともない1918年チェコスロバキアが誕生すると、ポジョニとその周辺都市による「スロバキア国民議会」(Slovenskej národnej rady)が発足した。同年12月31日にはチェコ軍団とドイツ・ハンガリー勢力の間で争奪戦が起きるが、1919年にチェコスロバキアの一部となり、同年2月都市名をプレスブルク/ポジョニ/プレシュプルクから「ブラチスラヴァ」に改称した。もともと中世の文献にブレザラウスプルク(Brezalauspurc, ブラスラフの城、ブラスラフとは9世紀後半に活躍した東フランク王国のスラヴ人貴族、下パンノニア公ブラスラフを指す)という集落の名が現れており、907年のハンガリー公国と東フランク王国との戦いでハンガリーが勝利した決戦の地としても知られていた。これが後のプレスブルク/ポジョニ/プレシュプルクであるとされていたが、その実際の位置は今もなお議論がある。スロバキアの歴史家パヴェル・ヨゼフ・シャファーリクが中世の文献の解読の際にブラスラフ(Braslav)を誤ってブラティスラフ(Bratislav)と読み、そのまま発表したことがもとになり、スロバキア愛国主義者がプレスブルクのことをブラティスラヴァと呼ぶようになり、それが都市名変更の際に使われることになった。

1939年にスロバキア人によるナチス・ドイツ傀儡政権が誕生し、ブラチスラヴァはスロバキア共和国の首都となったが、1945年ソビエト赤軍の侵攻によって政権は崩壊し、チェコスロバキア第三共和国の一部に復帰した。1969年チェコスロバキア社会主義共和国の連邦制移行にともない、連邦を構成するスロバキア社会主義共和国の首都となった。民主化後の1990年に国名から「社会主義」を除いたスロバキア共和国の首都となり、1993年1月1日ビロード離婚にともなって主権国家スロバキア共和国の首都となった。


  1. ^ 「スロバキア人移住続々 村民『冷戦時代、夢にも思わなかった』」 『読売新聞』東京本社版朝刊、2009年11月26日付。
  2. ^ デジタル大辞泉の解説”. コトバンク. 2018年7月21日閲覧。






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