オスマン帝国 概要

オスマン帝国

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概要

アナトリア小アジア)の片隅に生まれた小君侯国から発展したイスラム王朝であるオスマン朝は、やがて東ローマ帝国などの東ヨーロッパキリスト教諸国、マムルーク朝などの西アジア北アフリカイスラム教諸国を征服して地中海世界の過半を覆い尽くす世界帝国たるオスマン帝国へと発展した。

その出現は西欧キリスト教世界にとって「オスマンの衝撃」であり、15世紀から16世紀にかけてその影響は大きかった。宗教改革にも間接的ながら影響を及ぼし、神聖ローマ帝国カール5世が持っていた西欧の統一とカトリック的世界帝国構築の夢を挫折させる主因となった。そして、「トルコの脅威」に脅かされた神聖ローマ帝国は「トルコ税」を新設、中世封建体制から絶対王政へ移行することになり、その促進剤としての役割を務めた[6]ピョートル1世がオスマン帝国を圧迫するようになると、神聖ローマがロマノフ朝を支援して前線を南下させた。

19世紀中ごろに英仏が地中海規模で版図分割を実現した。オスマン債務管理局が設置された世紀末から、ドイツ帝国が最後まで残っていた領土のアナトリアを開発した。このような経緯から、オスマン帝国は中央同盟国として第一次世界大戦に参戦したが、敗れた。敗戦後の講和条約のセーブル条約は列強によるオスマン帝国の解体といえる内容だったため、同条約に反対する勢力がアンカラ共和国政府を樹立し、1922年にはオスマン家のスルタン制度の廃止を宣言、メフメト6世は亡命した。1923年には「アンカラ政府」が「トルコ共和国」の建国を宣言し、1924年にはオスマン家のカリフ制度の廃止も宣言。その結果、アナトリアの国民国家トルコ共和国に取って代わられた(トルコ革命)。


注釈

  1. ^ 15世紀後半の古伝承によれば、トルコ系オグズ族のカユ部族が起源とされており、この説は1930年代に異論が出るまで主流であった[11]
  2. ^ キリスト教世界への聖戦に燃えたトルコ人騎士らがガーズィーを形成して東ローマ帝国内へ侵入を繰り返したとする説はキョプリュリュ=ヴィテック説と呼ばれる[13]
  3. ^ このオスマン率いる軍勢の中にはキリスト教系騎士も参加しており、アナトリア北西のハルマンカヤのギリシャ人領主であったキョセ・ミハルは生涯、オスマンと同盟を結んだ[14]。また、逆にトルコ系チョンバオール家はオスマンとの同盟を破って東ローマ帝国と同盟を結ぶなど、宗教、民族の枠を超えて活動していた[15]
  4. ^ この同盟はヨハネス6世カンタクゼノスが失脚することにより解消される[18]
  5. ^ 先代が死去するとスルタン位継承した王子が他の王子を殺害するという慣習。のちにこれは廃れて幽閉制へと移り代わり、年長者もしくは前スルタンの弟がスルタンを継承するようになった[28]
  6. ^ セルビア北部はセルビア侯の領有地とされ、ラザルの息子ステファン・ラザレヴィチ英語版がデスポテース(公)に任命された[29]
  7. ^ エペイロスは当初従属国とされ、イタリア人専制公カルロ2世トッコ英語版が統治した。なお、エペイロスがオスマン帝国領となるのは1449年のこと[37]
  8. ^ この中でも地方に居住して徴税権を委ねられるシステムティマール制によって軍事奉仕義務を負った騎兵をスィパーヒーと呼ぶ。
  9. ^ この任命には様々な説があり、ひとつにはララという重職(セルジューク朝でいうアタ=ベク)に任命されるほどの人物であったということから任命されたという説とムラト1世が本来は息子のバヤズィト(後のバヤズィト1世)を任命するつもりであったが、幼少であったため、その繋ぎとしてシャーヒンを任命したとする説がある[92]
  10. ^ 一部の重要な都市を含むサンジャクのベイにはチェレビイ・スルターンと呼ばれる王子達が任命された[95]
  11. ^ 歴史家アーノルド・トインビーによる[113]
  12. ^ 一方の当事者がムスリム、非正教徒の非ムスリムの場合や、両方が正教徒であったとしても片方が望んだ場合はイスラーム法廷で裁かれた[122]

出典

  1. ^ "In 1363 the Ottoman capital moved from Bursa to Edirne, although Bursa retained its spiritual and economic importance." Ottoman Capital Bursa. Official website of Ministry of Culture and Tourism of the Republic of Turkey. Retrieved 26 June 2013.
  2. ^ In Ottoman Turkish the city was known with various names, among which were en:Kostantiniyye (قسطنطينيه) (replacing the suffix -polis with the Arabic nisba), en:Dersaadet (در سعادت) and Istanbul (استانبول). Names other than Istanbul gradually became obsolete in Turkish, and after Turkey's transition to Latin script in 1928, the city's Turkish name attained international usage.
  3. ^ Kabadayı p3
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  126. ^ 松岡正剛による紹介






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