X線の発見
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「ヴィルヘルム・レントゲン」の記事における「X線の発見」の解説
当時、ハインリヒ・ヘルツやフィリップ・レーナルトらによって真空放電や陰極線の研究が進められていた。陰極線は電子の流れだが、金属を透過することから当時の物理学では粒子の流れではなく、電磁波の一種と考えられていた。レントゲンもこれらの現象に興味を持ち、レーナルトに依頼して確実に動作するレーナルト管を譲り受けた。なおX線の発見に関する論文でこれに対する謝辞がなかったため、レーナルトから激しい怒りを買っている。 レーナルト管は管全体が弱い光を帯びるので、陰極線を見やすくするためにアルミニウム窓以外を黒い紙で覆った。さらに、アルミ窓はないが似た構造のクルックス管からも陰極線のようなものが出ているかもしれないとレントゲンは考えた。クルックス管は陰極、陽極ともに白金が使われており、これに20kV程度の電圧を印加するので、陰極から出た電子は陽極の核外電子を弾き出して遷移が起き、白金の特性X線が生じていたことが後にわかった。レントゲンは陰極線が出るならばクルックス管よりも弱いはずだと考え、見やすくするため同様に黒い紙で全体を覆った。さらに、検出のために蛍光紙(シアン化白金バリウムの紙)を用意した。 1895年11月8日、ヴュルツブルク大学においてクルックス管を用いて陰極線の研究をしていたレントゲンは、机の上の蛍光紙の上に暗い線が表れたのに気付いた。この発光は光照射によって起こるが、クルックス管は黒い紙で覆われており、既知の光は遮蔽されていた。状況的に作用の元は外部ではなく装置だとレントゲンは考え、管から2メートルまで離しても発光が起きることを確認した。これにより、目には見えないが光のようなものが装置から出ていることを発見した。後年この発見の時何を考えたか質問されたレントゲンは、「考えはしなかった。ただ実験をした」と答えている。実験によって、以下のような性質が明らかになった。 1,000ページ以上の分厚い本やガラスを透過する 薄い金属箔を透過し、その厚みは金属の種類に依存する 鉛には遮蔽される 蛍光物質を発光させる 熱作用を示さない また、検出に蛍光板ではなく写真乾板を用いることで、鮮明な撮影が可能になった。 光のようなものは電磁波であり、この電磁波は陰極線のように磁気を受けても曲がらないことからレントゲンは放射線の存在を確信し、数学の未知数を表す「X」の文字を用いて仮の名前としてX線と命名した。7週間の昼夜を通じた実験の末、同年12月28日には早くも"Über eine neue Art von Strahlen"(『新種の放射線について』)という論文をヴュルツブルク物理医学会会長に送っている。さらに翌1896年1月には、妻の薬指に指輪をはめて撮影したものや金属ケース入りの方位磁針など、数枚のX線写真を論文に添付して著名な物理学者に送付した。
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X線の発見
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クルックス管に加えられる電圧が約5000 V以上の十分高い値であれば、陽極やガラス管壁にぶつかったときにX線を生成するほどの速度まで電子を加速することができる。高速の電子がX線を生成する過程は二通りある。まず、正電荷が集中している原子核の近傍を通り過ぎると電子の軌道が鋭く曲げられ、その際にX線を放射する。この過程を制動放射という。次に、電子が原子と衝突して原子内の電子を上のエネルギー準位に押し上げた際、その電子が元のエネルギー準位に戻るときに余分なエネルギーをX線として放出することがある。この過程は蛍光X線と呼ばれる。 初期に作られたクルックス管もX線を発生させていたのは間違いない。実際、イヴァン・プリュイ(en)などの当時の研究者は、クルックス管の近くに未感光の写真乾板を置くと乾板が曇ることに気づいていた。1895年11月8日、黒い厚紙で覆われたクルックス管を操作していたレントゲンは、近くに置いてあった蛍光スクリーンがかすかに光を発していることに気付いた。レントゲンはクルックス管から何らかの目に見えない放射線が出ており、厚紙を透過してスクリーンに蛍光を発させていることを察知した。手元にあった紙片や本ではこの放射線を遮ることはできなかった。レントゲンは腰を据えてこの放射線の研究に取り掛かり、1895年12月28日にはX線に関する最初の研究論文を公開した。レントゲンはこの発見により第一回ノーベル物理学賞(1901年)を受賞した。 X線は医療に応用され始め、クルックス管に初めて実用的な用途が生まれた。各地の工房ではX線の発生に特化したクルックス管が製作され始め、これがX線管の原型となった。重金属はX線の発生量が大きいため、陽極の材料として主にプラチナが用いられた。陽極は陰極に対して適当な角度で傾けられており、その表面から発したX線が管の側壁を透過するようになっていた。鮮明なX線像を得るにはX線源を点光源に近づける必要があるため、陰極形状を凹球面とすることで陽極上の直径1 mmのスポットに電子線を集中照射していた。この種の冷陰極X線管は1920年頃まで用いられていたが、熱陰極クーリッジ管に後を譲った。
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