AKB48関連
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オープニングメンバーオーディションで、一度書類審査で落とされるも、当時AKB48劇場支配人だった戸賀崎智信が、再度書類を見直していたところ、奇しくも自身と同じ誕生日だったことを知り、復活当選となった経緯がある。 番組内で「尺のためなら何でもする」と発言することがある。アルバム『ノースリーブス』完全限定生産盤C(峯岸版)と通常版には「尺が欲しい」という曲が収録されている。また、『マジすか学園2』では、役名が「尺」となった。チームB移籍後に披露された『チームB推し』(梅田チームB Ver.)での自身のパートのフレーズも、「同情するなら、尺をくれ!」である。 秋元康は、峯岸の安定感のある抜群なトーク力を評価しており、「20年後、30年後も間違いなく芸能界で活躍している」と言わしめた。AKB48で同期の元メンバー大島麻衣からも「AKB48のトーク番長」と評されている。『トークの達人』。ちなみに『週刊AKB』では峯岸のトーク力を試す企画で、台本が白紙かつゲストが誰か登場するまで不明な状態で30分の架空のトーク番組「峯岸みなみの十番勝負 みいちゃんの部屋」の司会を行った。スタジオ観覧者30人中20人がトータライザーのボタンを押せば(司会者として)合格というルールのなか、さくらまやとのトークでは11点だったが、具志堅用高・ダンディ坂野・デーブ・スペクターとのトークではそれぞれ25点・24点・29点で合格点を得た。 一番心に残っている言葉として、秋元康から言われた「嫌われる勇気を持ちなさい」という言葉を挙げており、ドラマ『桜からの手紙 〜AKB48 それぞれの卒業物語〜』の役柄について「私は嫌われそうな役だけど、これで嫌われるなら逆に嬉しいです♡ みんながドラマに感情移入してくれたってことだから!!!」と語っている。 メンバーの中では、初期メンバー(高橋みなみ・前田敦子・小嶋陽菜・板野友美・篠田麻里子)とは基本的に総じて仲が良い。高橋とは名前が同じでWみなみとして親しまれており、高橋は峯岸の両親と一緒に峯岸の中学校の卒業式に出席したほどで、峯岸も頻繁に高橋宅に泊まりに行き「必ず(高橋の)パンツを(借りて)穿いて帰っちゃう」という親密な間柄。また前田とも、映画『もしドラ』撮影時に滞在中のロケ地で「毎日一緒にお風呂に入り、一緒に寝ています」と言うほど仲が良く、小嶋も、先述の2人とともに「普段よく遊ぶメンバー」。板野には「みぃちゃんが彼女だったら楽しそう!」と言われている。それ以外のメンバーでは、同年齢の指原莉乃や、同じく同年齢かつ研究生時代から推しメンで昇格し同じチームとなった横山由依の他、柏木由紀、宮澤佐江、大島優子らとも仲が良い。渡辺麻友に対しては、峯岸本人は「大好き」だが「私の想いが募れば募るほど嫌がられてる気もします」とのこと。 上記のメンバー以外にも、戸島花は「お姉ちゃんみたいな存在」、駒谷仁美とは「大の仲良し」で、成田梨紗とは「クリスマスの時にファンの方からプレゼントをもらえなかったのが私と梨紗だけだったことがあって、その時に一緒に泣いた」仲。また、平嶋夏海は、「初期メンバーの中で唯一の同い年だったのですごく仲が良くて」、そのあまり『19thシングル選抜じゃんけん大会』で偶然初戦で対戦することとなった平嶋が最初にパーを出すと公言していたにもかかわらず、それを狙って勝ちに行くことが出来ず自らもパーを出し、結局あいこを4回続けた後負けた。 好きな曲として、ノースリーブスの曲のほか、自身が初めてセンターを務めた「逆転王子様」を挙げている。 AKB48の「赤十字オフィシャルメッセンジャー」受任に伴い、赤十字救急法救急員養成基礎講習を修了。 カスペルスキー・ラボの『峯岸化フライングゲットキャンペーン』(2011年9月)で「フライングゲット」のPVに登場するメンバーの顔が全て峯岸に差し替えられた(峯岸化)映像のテレビCMが作成された。これに呼応するようにカスペルスキー・ラボがスポンサーになっていないAKB48のレギュラー番組の一部[出典無効]でも番組内で峯岸化が行われた。 Google+における、AKB48グループの部活動では自動車部に所属しており、部長を務めている。 『めちゃ×2イケてるッ!』にて行われためちゃの水女子大学附属第48高等学校体育祭において、岡村隆史が「(峯岸は)剛力彩芽に似ている」と指摘したことで「友達より大事な人」を踊った。この事象については大きな反響があり、『第3回AKB紅白対抗歌合戦』でもバックダンサー(本人)を携えて披露したほか、剛力も「マネしてくれてうれしかった」と感謝のコメントをしている。 峯岸が研究生に降格後、昇格してキャプテンを務めていたチーム4に在籍していたメンバーは「峯岸チルドレン」とも呼ばれ、その後、向井地美音はAKB48グループ総監督に、込山榛香はチームK、岩立沙穂はチームB、村山彩希はチーム4のキャプテンに、岡田奈々はSTU48のキャプテンにそれぞれ就任している。
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AKB48関連
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AKB48在籍時のキャッチフレーズは「同期はみんな売れっ子!小林香菜です」、「負けっぱなしの負けず嫌い、かなこと小林香菜です」等がある。 推しメンは梅田彩佳と佐藤すみれ 河西智美と「チユウ隊」を結成している。 フリートークのセンスは早くから認められていたものの、公演やライブで司会を務める際にたびたび笑いを取り、秋元才加などから解説されることがある。 早くからキャラクターを確立させており、イメージDVD『くるくる伝説』には「ギリギリアウトの天災的天才少女」、「AKB48の禁じ手最終兵器」等のキャッチコピーが使われた。ちなみに大槻ケンヂはこれらのキャッチコピーを絶賛している。 『週刊AKB』で実施された抜き打ち学力テストで予想外の珍回答を連発した事により、知名度が上昇。小学生からも「あのバカな子じゃん」などと声を掛けられるようになったという。本人は「もう、バカな子でもなんでもいい」「存在が知られてるだけでもありがたい」と述べている。 筋肉少女帯の楽曲「香菜、頭をよくしてあげよう」とは何の関係もないが、ファンから音源を送られて、同曲を知った。その縁もあって、『別冊宝島 AKB48推し!』では大槻ケンヂがコメントを寄せた。 秋元才加と仲が良く、彼女のあだ名「ゴリラ」の命名者でもある。 一番好きな楽曲は「チャンスの順番」。純白の衣装が良いという(2011年9月時点)。 自身のユニット曲「くるくるぱー」を伝説の名曲と称し、リクエストアワーでは最終日にひな壇でこの曲の衣装を着てネギを持ちながらランクインを待つ事が恒例行事となっていた。リクエストアワーでは2008年93位、2010年80位といずれもイベント初日に登場したが、2012年のリクエストアワーでは6,927票を獲得し14位にランクインした。最終日での登場となり、観客やメンバーからも驚きをもって迎えられた 『AKB48 27thシングル選抜総選挙』では41位となり、4回目にして初のランクインとなった。名前を呼ばれ、秋元才加と抱擁を交わした後に舞台に上がった。当日のブログでもファンへの感謝の気持ちを長文で述べている。
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AKB48関連
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母親がものすごく芸能界に入れたがる親で、AKB48のオーディションに応募した。 AKB48の主力メンバーの一人だった。AKB48のチームAキャプテンを務めていた時からAKB48のイベント・記者会見などにおいてグループ全体を代表して挨拶やコメントをする時は大抵の場合、高橋がその役目を負いAKB48グループ総監督というポジションに就いたこともあって、名実ともにAKB48全体のリーダーとされた。秋元康も「AKB48とは高橋みなみのことである」と公言しており、高橋自身も、AKB48を「ファミリー」と考えていた。元々は劣等生のタイプだった。折井あゆみが卒業して公演前の円陣の掛け声をする者がいなくなり、駒谷仁美から、「『どうするか〜』ってなった時に、『じゃ、たかみなやってみなよ』って言われた」ことから、「『誰も引っ張る人がいないんならやってみたいな』っていう気持ちになって」、それ以降リーダーシップを取るようになった。リーダーに関しては「間違ってもいいから、自分自身が正しいと思った道を示すこと」と述べている。総監督が握手会のクレーム対応係になっていた時期がある。総監督としての特別手当はなかった。高橋は「正直、総監督はしんどいです。きついです」と語った。AKB48での苦労としてAKB48グループは大所帯グループなためリハーサルが大変であったことを語った。 AKB48のメンバーとしてデビュー前に芸名を考えようとしていたが、結局本名のままで変えなかった。性格は感受性豊かで涙もろく、イベントやテレビ番組などでしばしば涙を流すこともあった。元々運動神経はかなり鈍くスキップもできないほどだったこともあって、加入当初は最もダンスが苦手な方で、練習では「いつも居残り」、『チームA 1st Stage「PARTYが始まるよ」』の振り入れの際には、夏まゆみから「できないコ(高橋)がいるから(振り付けを)変えましょう」と言われ、振り付けが簡単になったこともある。初めて「ミュージックステーション」に出演した際「スカート、ひらり」を披露したが、「アキバ系パンツ見せ集団」などといわれ、辛かったという。活動初期のころファンにつきまとわれた経験がある。AKB48の「恋愛禁止」については「アイドルとして成功したいなら、恋愛はしないほうがいい」と述べている。 峯岸が通学していた中学校の卒業式に立ち会ったり、秋元才加のチームKキャプテン辞任発言が報じられた『AKB48のオールナイトニッポン』の生放送中には、ニッポン放送に駆け付けた。後輩の横山由依を「私の推しメン」と呼び、AKB48に在籍中は一貫していた。 2016年3月27日に行われた「高橋みなみ卒業コンサート」では、「思い出のほとんど」「RIVER」「背中言葉」「桜の花びらたち」など全31曲をセンターで披露した。 2017年2月22日、「小嶋陽菜卒業コンサート」に登場し、「1994年の雷鳴」「純愛のクレッシェンド」を披露した。 2021年5月22日、「峯岸みなみ卒業コンサート」に登場し、「純愛のクレッシェンド」「唇 触れず…」「Relax!」を披露した。
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