2003年-2006年:再びのカタルーニャ政府とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 2003年-2006年:再びのカタルーニャ政府の意味・解説 

2003年-2006年:再びのカタルーニャ政府

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/02 07:01 UTC 版)

カタルーニャ共和主義左翼」の記事における「2003年-2006年:再びのカタルーニャ政府」の解説

2003年11月16日の州議選(スペイン語版)において、ERC23議席獲得し政権獲得のために過半数確保するためにはERCとの連立不可欠となるキャスティングボートを握る政党となった。数週間の後、CiU保守民族主義政党)との連立が成るように思えたが、最終的にカタルーニャ社会主義者党(PSC)とカタルーニャ緑のためのイニシアティブカタルーニャ統一左翼との間で「進歩主義協定」(ティネイ協定呼ばれた)を結ぶこととなったERCPSCのパスクアル・マラガイ(スペイン語版首班の3党連立政権加わり党代表ジュゼップ=リュイス・カロッド=ルビーラが筆頭閣僚(Conseller en cap)に就任するなど自治政府閣僚6ポスト得たERCそのほかに教育(ジュゼップ・バルガリョー)、福祉家族(アンナ・シモー)、商業・観光消費(ペラ・アステーベ)、統括公共行政(ジュアン・カラテール)、大学研究情報社会(カルラス・スラー)の5ポスト得たまた、アルネスト・バナックが自治州議会議長選出された。 新政権発足後まず取り組んだ課題新し自治憲章スペイン語版立案のための手続き開始することであった自治政府最初重大な危機アスケーラ党首ジュゼップ=リュイス・カロッド=ルビーラがパルピニャーETAリーダー2人極秘裏に会談持ったということによって引き起こされた。マラガイは当日国外公式訪問であったため、筆頭閣僚のカロッド=ルビーラが実質的に州首相代行務めており、マラガイには無断であった日刊紙『ABC』はスペイン国家のシークレットサービスからの情報報道メディア社会全体一大論争巻き起こし、カロッド=ルビーラを州政閣僚から罷免することによって、この一大政治危機幕引きをすることとなった。ジュゼップ・バルガリョーがカロッドに替わって筆頭閣僚に就きERC政権内に留まり続けた。バルガリョーが就いていた教育担当閣僚にERCのマルタ・シッドが就任したERCは党のリーダー対す不当な攻撃であると考え2004年3月14日総選挙において候補者リスト筆頭にカロッド=ルビーラの名をに乗せ選挙臨んだ。このことにより、ERC選挙有権者がカロッドの行動支持するかしないのかという国民投票のようなものになることを望んだERC結果目を見張るものであった民主化以後歴史において、ERC下院に1議席を送るのがやっとであったのが、この年3月は8議席獲得得票194,715から652,196飛躍的に増大1977年民主化選挙以降選挙歴史的な記録となった選挙後カロッドは下院議員当選証書拒否、ジュアン・プチャルコスが代わりに受け、スペイン首相指名投票ではホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテーロ支持予算その他の法案についても、社会労働党政権協力したERCカタルーニャ自治州政府への参画並びにロドリゲス・サパテーロの社会労働党政権対す支持は、保守派からの厳しい批判さらされた。アンヘル・アセーベスやエドゥアルド・サプラーナなどの国民党所属政治家はサパテーロがERCの「独立主義者脅し」に屈した非難したまた、エル・ムンドラジオ局COPEなどの多くマスコミERC指導部対し厳し態度をとった。とくに、カタルーニャ政府要人イスラエルへの公式訪問中にカロッド=ルビーラがテロリストグループETA話し合い持ったことは大きな論争巻き起こしたマドリード社会労働党政府ERC擁護する態度をとり続けERCカタルーニャ自治政府連立与党とどまった2005年9月30日ERCカタルーニャ議会において新自治憲章草案賛成票を投じ、同草案州議会通過した州議会での新自治憲章可決の後、発効のためにスペイン国会送られた。文言削除論争引き起こしERC自治州議会によって可決され草案忠実である人々自治政府支持者たちの間で危機誘発したERCは、2005年州議会通過した法案が、最終的にスペイン国会下院において可決され法案では大幅に文言削除されたと受け止めた。このことは住民投票日時近づくにつれ、最終法案対すERC態度変えさせることとなった2006年2月18日ERCは「われわれは一つネーションであり、自決権を持つ」(Som una nació, tenim dret a decidir)というスローガンの下でバルセロナにおいて様々な団体によって組織されデモへの市民参加呼びかけ自治憲章カタルーニャ一つネーションであることを認め2005年9月30日自治州議会可決され自治憲章条文盛り込むことを要求したさまざまな発表によるとこのデモには50から100万もの人々参加したとされ、ERCリーダーたちが全員そろってデモ参加カタルーニャ一つネーションであることを明記しない自治憲章支持しないことを明言した。 またERC執行部自治憲章案の財政に関する内容カタルーニャにとって満足いくものではないため、最終案賛意を示すことができない、また自治政府バルセロナ空港整備事業対す姿勢譲歩するつもりのないことも付け加えた2006年4月20日自治州首相パスクアル・マラガイ(スペイン語版)は自治政府閣僚のうち6人を更迭する事態陥ったことを発表したそのうち2人ERC所属であった連立与党の3党間で話し合いがもたれ、合意成立、マラガイが更迭した閣僚に代えてERCから新閣僚出された。ジュアン・カラテールに替えてシャビエル・バンドレイが統括公共行政担当に、カルラス・スラーに替えてマネル・バルセルスが大学研究情報社会担当起用された。 一方自治憲章案についてのERC姿勢についての議論は党の活動大きな部分占め続けた。党の主要人物の間での議論の後、執行部一般党員に党として住民投票には無効票投じることを提案した:「削減された」自治憲章案については賛成できないが、自分たちが作り上げたに対して反対票を投じることもできないためで、カロッド=ルビーラによると「およそ85%の党員」がこの提案賛同示したとされる。しかし、臨時党大会参集した党員たちは執行部提案無視、党として「反対」の立場をとることを支持した2006年5月11日上院での新自治憲章案の可決ERC議員欠席)の翌日同年6月18日行われる住民投票ERC反対票を投じる声明行った後、州首相パスクアル・マラガイによってERCの全閣僚罷免された。これに対してERCカタルーニャ州行政において責任ある高い役職にあるものの辞職応じた罷免されERCの6閣僚後任PSCから選ばれた。このティネイ協定空中分解政治危機湧出し、パスクアル・マラガイ自治州首相州議会解散し同年末に予定されていた州議会選挙前倒しての実施へと追い込まれる可能性のある住民投票実施する賭け出たERCは新自治憲章についての住民投票スペイン語版)において「反対」を呼びかけた。党の選挙スローガンは「今は反対カタルーニャにはもっと価値がある」(Ara toca no: Catalunya mereix més)というものであった2006年6月18日住民投票が行われ、賛成票73.90%で可決された。ERC反対呼び掛けたものの、それにこたえて反対票を投じたものは20.76%にすぎなかった。同日夜ジュゼップ・リュイス・カロッド=ルビーラはERC提案賛意得られなかったことを認め、党の近年数々失策真摯に受け止め、学ぶ必要性表明した2006年10月8日にはERC70年歴史において初め党員数10,000人を超えた。これは3党連立自治政府与党となる以前4年前の党員数倍増させたことを意味した

※この「2003年-2006年:再びのカタルーニャ政府」の解説は、「カタルーニャ共和主義左翼」の解説の一部です。
「2003年-2006年:再びのカタルーニャ政府」を含む「カタルーニャ共和主義左翼」の記事については、「カタルーニャ共和主義左翼」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「2003年-2006年:再びのカタルーニャ政府」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「2003年-2006年:再びのカタルーニャ政府」の関連用語

2003年-2006年:再びのカタルーニャ政府のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



2003年-2006年:再びのカタルーニャ政府のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのカタルーニャ共和主義左翼 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS