1980年代末期 -既成概念を打ち破ったXのメジャーデビュー-
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 04:25 UTC 版)
「ジャパニーズ・メタル」の記事における「1980年代末期 -既成概念を打ち破ったXのメジャーデビュー-」の解説
1986年、Xはメジャーレーベルでのデビューを目指して『上海紅鯨団が行く』や『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』といった視聴者参加型番組などへの積極的なメディア露出を始める。その一方で、Xのリーダー・YOSHIKIは当時の「ロッキンf」や「BANDやろうぜ」等の音楽雑誌編集部に「Xがテレビに出演する理由」という内容のFAXを送り付けた。だが、Xも当初はそのキャラクター的な過激さを期待したバラエティ番組への出演が中心で、実際のところは「ちょっと過激な音楽もできるイロモノ芸人」という扱いであった。Xはもとより、メタル自体がまだ邦楽の中での歴史も浅く、ビッグヒットも無い、テレビ業界的には“売れ線”ではないジャンルであり、「ロック音楽の中のイロモノ」に過ぎなかったのである。なお、一般的な偏見の大きな元凶となった『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の「ヘビメタ」シリーズ企画は、そもそもLOUDNESSとも仕事上の親交もあり、ヘヴィメタルを愛好していた総合司会のビートたけしの側近的立場であった森昌行が、日本の若いヘヴィメタルバンドを応援する企画はどうか、と総合演出のテリー伊藤に提案したが、ヘヴィメタルの魅力を全く理解出来なかった伊藤による誤解、偏見で「目立ちたがり屋の馬鹿=ヘビメタ」と歪んだ認識で企画を立て、知名度を得たい若手アーティスト達を利用し、馬鹿にするコーナーにしてしまっていた。森も初回放送後に苦言を呈したが、伊藤はまったく聞く耳を持たなかった。 そのXがインディーズバンドとして活動していた頃、パンクスによる「メタル狩り」と呼ばれるメタルファンとメタルバンドに向けた暴力行為や、メタルヘッズによる「パンク狩り」が横行していた時代でもあった。実際、DEAD ENDのヴォーカリストMORRIEは当時のヘヴィメタルとハードコア・パンクは仲が悪かったと述べている。一方で、1986年ごろには「GASTUNKとDEAD END、あとはCOBRA、CITY INDIANと一緒に」ライブをしたこともあると語っている。XもG.I.S.M.やGAUZE、MASAMIと言ったハードコア・パンク系のバンドやミュージシャンとの繋がりがあった為、パンクスと喧嘩になりそうな場合、Xと繋がりのあるバンドや関係者であると知ると丸く収まると事があり、いかに当時のXがインディーズメタル界で影響力があったかと言うことを後年、ライブハウス「目黒鹿鳴館」の関係者が明かしている。その後、1980年代後半になると、状況は変わっていく。1987年に結成されたデスメタルバンドHellchildのメンバーは、「同年代の友達はジャパコアが多かった」、「ハードコアの奴らも当時けっこうEXPLOSIONに集まってた」と証言しており、「(メタルヘッズとパンクスの不仲は)全然ないですよ。HELLCHILDはパンク系の対バンのほうが多かったかもしれないですね。半々くらいかな」、「同世代では、ハードコアの人たちもスラッシュメタルを聴いてたし、スラッシュメタルやってる人もハードコアは聴いてたし。別に敵対するようなところはなかったですよ」と述べている。 他方で、従来のメタルバンドやミュージシャンがメタル専門誌以外のメディアに露出することは少なかった。メタルに関する情報が全般的に不足気味であった間に、X(主にYOSHIKI)をはじめとするTHE HAIRのバーバラ・アキタダ、DISTOMAのハードコアユキ、BAVETYのジン・スズキらによるパフォーマンスが、音楽的な興味や知識を持たないバラエティ番組(特に「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」)や女性週刊誌などで興味本位的に弄り回され、ヘヴィメタルのアイコンとされた事が原因で、それまでヘヴィメタルという言葉さえ知らなかった世間一般には、ヘヴィメタルの人たちは染髪している、ガリガリに痩せていなければならない、やたら火を吹く、凶暴なキャラクター性、などといった誤ったパブリック・イメージが定着してしまう事となった。 これ以前の1980年代中盤から、初期の聖飢魔IIをさらに過激にしたようなイメージがヘヴィメタルを示すある種の記号としてマスコミやサブカルチャーでは用いられていたが、この時期以降になると、XやさらにXの影響を色濃く受けた初期ヴィジュアル系の様な偏ったイメージをさらに誇張表現した極端なキャラクター様式がそれに混ぜ込まれ、さらにはメタルと同様にヴィジュアル系に影響を与えたパンク・ロックともない交ぜにされ、漫画やドラマでヘヴィメタルを表現する際の視覚的フォーマットとして定着してしまった。2000年代に入ってからでも、デスメタルをテーマとしたギャグ漫画ではあるが「デトロイト・メタル・シティ」がこのフォーマットを利用して作品の形成と人気獲得に成功し、映画化などメディアミックス展開もなされている。 この様な出来事から、1980年代当時のBURRN!編集長であった酒井康は一般層に浸透しているヘヴィメタルのイメージが「長髪、化粧、騒音、馬鹿」になっていると嘆き、宣伝目的で安易にバラエティ番組に出演するバンド側に対し「メディア(の影響力)は怖い。出演している側がシャレと思っていても、知らない人はマジで受け止めてしまう」と危惧すると同時に「ヘヴィメタルを理解していない人達、つまり、一般メディア、マスコミ、それらに利用されているとは思わない頭の良い日本のバンド様によって一般大衆に“ヘビメタ”という言葉だけが浸透していっただけ」と痛烈な皮肉と批判を口にしていた。 一方でYOSHIKIは後年のインタビューで1980年代当時の日本のヘヴィメタルシーンについて以下のようなコメントを残している。 「当時のシーンというのが、ANTHEMとかが盛り上がっていた頃で、まるで評論家に褒められるのが目的かの様に、一生懸命真面目に音楽をやる事が良いとされる様な、まるで学校に行くような雰囲気が漂っていたんですよ。“メイクなんかしないで、キチンと音楽やるのがいい”みたいな。それが凄く嫌で、だったらもっとムチャクチャやってやろうと思って、そうしたら今度、そのムチャクチャさ加減にHIKARUとJUNが辞めてしまった」 — YOSHIKI 既成概念を嫌い、破壊の美学を信条とし、ロックの世界に自由な表現を求めていたYOSHIKIにとって当時のヘヴィメタルシーンは決まりごとの多い保守的な印象が強く、上京後にヘヴィメタル以上の過激なステージングを行っていた当時の日本のパンクシーンの存在を知ってからパンクにも傾倒し、既存のヘヴィメタルだけでは物足り無さを感じ、前述の様に派手なメイクとステージパフォーマンスを繰り返していた。しかし、その代償として一部のライブハウスの出入り禁止や音楽評論家や専門誌から強いバッシングを受けるようになった。その中でも日本のバンドに冷酷な評価を下すことで知られていたBURRN!は編集部の一人であった増田勇一がDEMENTIAのシングル「STRUGLE FOR REVEL」のレビューで「“スピード歌謡”みたいな『X』よりは好感持てるけど」と、こき下ろしたレビューを書き、記事を読んだYOSHIKIが「いつか見返してやります」と書いた抗議の手紙をBURRN!編集部に送り付けたことがあった。 評論家からは、これでもかとばかりに攻撃を受けましたね。僕も黙っていればいいのに「何が悪いんだ!」って、抗議の手紙を書いたりして(笑)。評論家が誰だったかは覚えていないけど、雑誌が『BURRN!』だったことは覚えてます。その頃、いろいろなバンドから「YOSHIKI、ちゃんと音楽やった方がいいよ」って言われたことがよくありましたね。自分としては、ちゃんとやってるつもりだったんだけど、メイクしたり、頭を立てたりといった派手な部分しか周りには見えていなかったんですよね。その頃、“ポーザー、ノー・ポーザー”という区分けが流行っていて、俺は“そんなの関係ないじゃん!”と反発心を抱いてました。単純に暴れたかったんですよね、その時は(笑) — YOSHIKI 評論家や専門誌のバッシングに耐えながらもテレビ出演やライブ活動で着実にファンを増やしたXは1988年4月にリリースした1stアルバム『Vanishing Vision』は初動1万枚以上と、当時のDEAD ENDの1stアルバム『DEAD LINE』を記録を塗り替え、インディーズとしては記録的なセールスを上げ、インディーズ・レーベルながらメジャー・チャートにランクインを果した日本史上初のアルバムとなった。最終的な累計売上は100万枚を超えた。また、対立関係にあった増田とは和解し、以降はBURRN! JAPANをはじめ21世紀以降もフリーライターとなった増田からの取材を受けるなど友好的な関係を築いていった。そして、1989年4月21日にCBSソニーよりメジャーデビューアルバム『BLUE BLOOD』をリリースし、1990年には日本武道館、1991年には『Jealousy』リリース直後にデビュー2年4か月にして東京ドーム公演を行うなど既存のヘヴィメタルバンドでは成しえなかった記録を次々と打ち立てることとなった。それと同時にXの目覚ましい活躍ぶりは日本のヘヴィメタルシーンが少しずつ確実に衰退する原因となり、ヴィジュアル系ムーブメントの幕開けでもあった。
※この「1980年代末期 -既成概念を打ち破ったXのメジャーデビュー-」の解説は、「ジャパニーズ・メタル」の解説の一部です。
「1980年代末期 -既成概念を打ち破ったXのメジャーデビュー-」を含む「ジャパニーズ・メタル」の記事については、「ジャパニーズ・メタル」の概要を参照ください。
- 1980年代末期 -既成概念を打ち破ったXのメジャーデビュー-のページへのリンク