1980年代後半 - 1990年代・Nゲージブーム終焉とNゲージメーカーの動向
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「Nゲージ」の記事における「1980年代後半 - 1990年代・Nゲージブーム終焉とNゲージメーカーの動向」の解説
1980年代半ばには、Nゲージブームは終息し、Nゲージから撤退するメーカーも現れた。学研は、1980年代半ばにNゲージから撤退、エンドウ、ナカセイ (←中村精密)も1980年代半ば以降新製品の発売がなく、製品の再生産と市場流通も1990年頃には途切れ店頭から姿を消していった。 一方、ブーム終息後も、2大Nゲージブランドとして定着した関水金属とトミー、プラキットのメーカーとして独自の地位を築いたグリーンマックスが、安定した活動を続けていた。 このような状況下で、金属キットの発売が増加した。シバサキ模型が1984年にKATO製キハ20をキハ10に改造する真鍮エッチング板を発売したのを皮切りに、1986年「ワールド工芸」が国鉄EF55形電気機関車を製品化。以降、レイルロード、タヴァサホビーハウス、ペアーハンズなど新しく参入するメーカーも現れ、金属キットは90年代に入る頃には一つのジャンルとして定着した。キットの構成も当初の側板のみ・車体のみから、下回り・動力込みのトータルキットも現れた。 シバサキ模型は1993年の新製品を最後に閉店・廃業したが、新規参入メーカー、新製品は絶えることがなかった。1995年11月にはNゲージファンのための即売会形式のイベント、JNMAフェスティバルが開催され、それまでのメーカー・模型店よりも規模の小さなグループや個人も参入し始めた。こうした小メーカーの製品はガレージキットとも呼ばれ生産数も少ないため、即売会などのイベントや特定の販売店、通信販売などでしか手に入らないものも多い。一方キッチン(kitcheN)や銘わぁくすのように、中堅キットメーカーなみの製品数を数えるところもある。 一方、ワールド工芸は完成品の製造・販売にも力を注ぎ、再び金属完成品が店頭に並ぶようになった。90年代末期からは蒸気機関車模型を中心に細密製品として金属完成品を製品化するメーカーが増加した。新たな参入メーカーにはHO/16番ゲージのメーカーとして著名な天賞堂など、他のスケール/ゲージで実績を積んだメーカーも多い。 プラスチック完製品の販売を行うNゲージメーカーに関しては1990年代以降、新たな動きが見られた。1990年代初めに、新規メーカーとしてプラモデル・情景素材メーカーの河合商会がトミーから発売され絶版となっていた国鉄貨車シリーズを自社製品として発売し参入した。 マイクロエース=有井製作所は、1980年代半ば以降、幾度かの客車製品の再生産以外新製品もなく休止に近い状態であったが、90年代中頃に新たにアメリカ、ライフライク製品のアメリカ型の機関車・貨車をマイクロエース名義で発売し再始動した。1996年には国鉄D51形蒸気機関車を発売、以後コンスタントに国鉄型蒸気機関車を製品化していった。これらの製品が中国製なのはライフライクに倣ったものである。 さらに90年代後半にはプラモデルメーカーであるハセガワが「MODEMO」のブランドでNゲージにも参入し、路面電車やナカセイの金型を使った旧型客車などの完成品を製品化している。 この時期、これまで鉄道模型、とりわけNゲージではほとんど見られなかったウレタン樹脂(レジン)製のキットや完成品が、複数のメーカーから発売された。その特性上少量生産の製品が多かったが、「プラッツ」など一部のメーカーの製品は市場にも流通した。 1990年代にはヨーロッパのメーカーの統合が目立つようになった。1992年にはイタリアのリマがリバロッシに買収された。1995年ドイツのアーノルトが倒産し1997年にイタリアのリバロッシグループ傘下に入り同グループのNゲージブランドとなった。1997年には、トリックスが業績悪化でメルクリンの傘下に入った。2000年にリバロッシグループは組織改編を行ないリマグループとなった。
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