退役とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/08 03:07 UTC 版)
「江ノ島鎌倉観光600形電車」の記事における「退役とその後」の解説
本形式は連接車各形式と比較して1編成あたりの収容力が大きく、多客時における運用に重宝されていたが、一方で連接構造ではないため曲線区間走行時の動揺が大きいという旅客サービスの面で難を抱えており、また乗務員扉を持たない車体構造に起因して前方監視のしにくさなどが乗務員から不評を買っていた。そのため、1000形の増備に伴って本形式の代替が計画され、まず603-604編成が1981年(昭和56年)12月20日の1000形1101-1151編成の運用開始に伴って運用を離脱、編成を分割され603が極楽寺検車区構内に、604が当初は鎌倉駅5番線に、その後江ノ島駅構内の電留線にそれぞれ留置されたのち、1983年(昭和58年)12月1日付で2両とも除籍された。 残る601-602編成は1985年(昭和60年)2月に導入当時の窓周りを朱色・腰板部および幕板部をアイボリーとした2色塗装に復元され、「赤電」のヘッドマークを装着して運用された。これは同編成の運用終了を記念した塗装変更であったとされるが、実際にはより老朽化が著しかった800形の代替が優先されたために601-602編成はその後も継続運用され、[要出典]約1年半後には再び窓周りをクリーム・腰板部および幕板部をグリーンとする標準塗装に戻された。同時期には戸袋窓が従来の上下分割2枚窓形状から縦長の1枚窓形状に改造されている。[要出典]また、602は編成の鎌倉寄り車両の車番十位を50番台とする連接車各形式の付番基準に則り、1988年(昭和63年)9月1日付で651へ改番された。 その後、601-651編成は1990年(平成2年)4月の2000形2001-2051編成の運用開始と入れ替わるように運用を離脱、同年4月28日付で除籍され、本形式は全廃となった。 廃車後、601は同年7月に東京都世田谷区の東急世田谷線宮の坂駅脇にある宮坂区民センターへ搬入され、同地にて静態保存された。車体は東急に残存したデハ80形の晩年と同じくライトグリーン1色塗装とされた一方で、江ノ電在籍当時の車番表記「601」と社名表記 (EER) はそのまま存置されており、前面形状や江ノ電導入に際して下端部が切り上げられた客用扉なども江ノ電在籍当時のままとされている。傍には簡単な説明書きが置かれており、区民センター開館時は車内に立ち入ることも可能である。なお、世田谷線に在籍した玉川線時代からの在来車はその後の車両近代化に際して全車とも廃車・解体処分されているため、現存する車両は601(元東急デハ87)と川崎市宮前区にある電車とバスの博物館にて静態保存されているデハ200形204のみである。 その後、601は露天環境における保存開始から25年以上を経過して各部の劣化が進行したため、2017年(平成29年)12月よりふるさと納税にて補修資金を募り、翌2018年(平成30年)8月に修復工事が完了、同年8月25日には記念式典が開催された。 一方、651は江ノ電の車両を模した「江ノ電もなか」を販売する神奈川県藤沢市の和菓子店「扇屋」に前面のみ保存されている。内部は和菓子製造の作業場となっており、運転台機器などは一切撤去、電車正面のサボ受けには「江ノ電もなか」と表記されたサボが入れられている。「扇屋」は江ノ島 - 腰越間にあり、走行中の車内からでも見ることができる。 世田谷区宮坂区民センターにて保存されている600形601の先頭部。 601の前面から側面にかけて。 601の連結面。前頭部と比較して東急デハ80形当時の原形を保った形状である。 「扇屋」の店頭に保存されている600形651の前面。
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退役とその後
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「ノースカロライナ (戦艦)」の記事における「退役とその後」の解説
ノースカロライナは1947年(昭和22年)6月27日に退役し、不活性化の後、予備艦艇として係留保管された。1960年(昭和35年)6月1日には予備艦艇としても退役し、同日付で海軍籍から除籍された。1961年(昭和36年)9月6日にノースカロライナ市民の下に管理を移され、1962年(昭和37年)4月29日、ノースカロライナ州ウィルミントンで、全ての第二次世界大戦における死者のメモリアルとして一般に公開された。本艦の木材の一部は、原子力潜水艦ノースカロライナに使用された。博物館になった先代のノースカロライナ(本艦)は、その後1986年(昭和61年)にアメリカ合衆国国定歴史建造物に指定された。 「戦艦ノースカロライナ号博物館」への訪問客は、艦の主甲板、多くの内部の部屋やいくつかの砲塔を見学することができる。博物館ではさまざまなイベントが開催され、いくつかのスペースは催し物のために貸し出されることもある。士官室には第二次世界大戦で戦死したノースカロライナ州民の氏名がリストされている。博物館にはこのほか売店、ビジターセンター、ピクニック・エリアが存在する。 博物館は1960年にノースカロライナ州の制定法によって設立された、戦艦ノースカロライナ委員会によって運営される。博物館は寄付金及び自らの収入で運営され、税金は投入されない。 博物館の改修案はいくつか計画されている。次の主な改修計画は船体の修理である。これは最も近いバージニア州ノーフォークの乾ドックに入り、ウィルミントンから数ヶ月間離れることになるかもしれないものである。
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