軍医時代とは? わかりやすく解説

軍医時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 03:37 UTC 版)

岡田国太郎」の記事における「軍医時代」の解説

東京帝国大学医科大学卒業する直前1887年明治20年6月4日陸軍三等軍医少尉相当)に任官し陸軍省医務局出仕同年8月18日東京鎮台陸軍病院治療課副医官転じ同年11月15日陸軍戸山学校附を命じられる1889年明治22年6月24日福岡衛戍病院附となり、同11月10日陸軍二等軍医中尉相当)に進級ドイツ留学期 1890年明治23年2月24日付にて福岡衛戍病院附を免じられ、翌25日ドイツへ留学命じられるドイツでは、大学先輩寮生活を共にした北里柴三郎世話によりロベルト・コッホHeinrich Hermann Robert Koch1843年1910年)に師事し細菌学伝染病研究したまた、ベルリンでは京都欧学校時代恩師ゼッケンドロフに公私ともに世話になる同時期に留学した後藤新平とよく行動を共にした。1892年明治25年12月4日陸軍一等軍医大尉相当)に進級日本帰国後 1893年明治26年6月8日日本に帰国。同6月9日付にて陸軍軍医学校教官 および森林太郎森鷗外校長副官命じられるまた、同年11月岡田小池正直森林太郎菊池常三郎平山増之助と共に陸軍病院建築法審査委員任じられた。 1895年明治28年1月11日清国派遣内の伝染病調査のため清国派遣される1896年明治29年)、「衛生学教科書陸軍軍医学校)」作成校長副官として携わる1897年明治30年10月11日陸軍三等軍医正(少佐相当)に進級また、陸軍軍医学校副官の任を解かれ同校教官となり、併せて陸軍衛生会議議員広島軍用水道敷設事務官命じられる1899年明治32年)、当時軍医であった小池正直3月授与されたのに続き7月24日学位医学博士)を授けられた。 1901年明治34年11月3日陸軍二等軍医正(中佐相当)に進級し同年12月8日台湾守備混成第二旅団司令部附兼台中衛戍病院病院長転じる1904年明治37年4月2日軍医学校教官命じられる同年7月25日陸軍一等軍医正大佐相当)に進級以降清国派遣の後陸軍予備病院御用掛を命じられその後軍医学校教官復す1904年明治37年12月広島予備病院御用掛を命じられ広島予備病院第四分院伝染病患者病理試験および細菌検査主任就任直後より軍医小久保恵作院長勤める同第三分院戦地帰還脚気患者収容し脚気精密検査開始した1905年7月広島予備病院内脚気調査委員会設けられ岡田委員長に、小久保恵作三等軍医正・片山誠二等軍医日本赤十字社下方正信委員任命された。10月脚気調査のため奉天派遣される岡田軍医学校異動後軍小久保恵作との連名で『脚気調査第一回略報』(東京医事新誌1428)にて脚気病原菌発見発表された。同年12月軍医都築甚之助脚気病原菌発見発表し岡田小久保両軍医が発見した比較したところ、三名発見したとする全て別物であることが判明岡田および都築脚気病原菌発見自己否定するに至った国内では、引き続き脚気伝染病説と中毒説の勢い強く脚気原因をめぐる混乱葛藤1920年代の「ビタミン欠乏」説の確定まで続いた日本の脚気史参照)。

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軍医時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/30 16:14 UTC 版)

矢数道明」の記事における「軍医時代」の解説

1941年昭和16年10月軍医として応召陸軍軍医見習士官任官しフィリピンラバウル経てブーゲンビル島の第76兵站病院勤務する1942年昭和17年9月軍医少尉任官最終階級陸軍軍医大尉)。下肢にできる潰瘍有効な木の葉現地住民から教わり部隊兵士がこの潰瘍悪化させるのを防いだ。また道明は、灸治療の縁で秋永参謀長から得た南方植物に関する書物記載されていたサゴヤシデンプン着目した現地住民からサゴヤシデンプン分けて貰う際、現地住民が赤い腰布巻いているのを真似て木綿赤チン染めたものをお礼として渡し、後にはサゴヤシからデンプンを採る方法現地住民から習得して、これを団子にして部隊ふるまい多く兵士餓死から救った道明は、板倉武(元東京帝国大学医学部第一内科学教室講師)が所長務め同愛記念病院内の東亜治療研究所(同研究所国費得て設立、のちに東方治療研究所改称)の所員として招聘されていたことから、板倉武は道明内地勤務変更するよう東條英機首相に陳情したが、この陳情受け入れられなかった。1946年昭和21年3月復員道明1973年昭和48年)にブーゲンビル島訪れ当時世話になったオルガン寄贈している(この様子は1973年7月NHKにて放映)。また後に、当時従軍記録を『ブーゲンビル島兵站病院記録:元第76兵站病院軍医』(1976年医道の日本社)として著している。

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