著名な秘仏とは? わかりやすく解説

著名な秘仏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 00:06 UTC 版)

秘仏」の記事における「著名な秘仏」の解説

日本文化史上重要と思われるいくつかの事例について略説する法隆寺夢殿本尊 観音菩薩立像救世観音)-夢殿は、聖徳太子が営んだ斑鳩宮の跡に建てられ法隆寺東院の中心堂宇である。堂内中央の厨子安置される救世観音像聖徳太子等身の像と伝え飛鳥時代木彫像であるが、各種史料によれば平安時代後期12世紀には既に秘仏とされていた。通説では1884年1886年とも)、法隆寺訪れた岡倉覚三天心日本の美術教育美術史研究先駆者)とアーネスト・フェノロサアメリカ人哲学者美術史家)が寺僧反対押し切って厨子の扉を開け観音像数百年ぶりに姿を現わしとされる。この時、観音像長い白布覆われていたという。岡倉フェノロサによる秘仏開扉エピソード半ば伝説化しており、それ以前数百年間誰もこの観音像見た者がいなかったのかどうかについては疑問視する向きもある。 信州善光寺本尊 阿弥陀三尊像寺伝によれば6世紀百済聖王聖明王)から当時日本献上され日本仏法最初仏像が、様々な経緯長野運ばれたものが善光寺本尊であるという。善光寺本尊鎌倉時代には既に秘仏であったことが知られ現代に至るまで「絶対秘仏」とされている。ただし、善光寺には秘仏本尊模して作られとされるお前立ち像」(造、鎌倉時代作、重要文化財)があり、この像を通じて秘仏本尊像容推測することができる。「お前立ち」像は中尊両脇侍ともに立像で、三尊1枚大きな光背背負っており(一光三尊形式という)、三尊印相両手の指で示す形)、服制両脇侍の宝冠などにも特色がある。これらの特色朝鮮半島三国時代金銅仏にもみられるものであり、善光寺秘仏本尊がかなり古い時代朝鮮半島から渡来した像である可能性は高い。日本各地寺院にある「善光寺式阿弥陀三尊像」と呼ばれる三尊像も同様の形式のものである善光寺では7年目ごとに「御開帳」を行っているが(開帳の年を1年目数えるため、実際6年一度)、この際公開されるのは「お前立ち像」である。なお元5年1692年)に無仏、偽仏などの風聞広まったため、上野寛永寺法親王の命で現龍院敬諶という僧を善光寺派遣して秘仏検分させた。この際記録では本尊法量一尺五寸(約45センチ)、両脇侍は一尺(約30センチであったという。 東大寺二月堂本尊 十一面観音立像東大寺二月堂は、大仏殿東方山麓位置し、「お水取り」の行事知られる。「お水取り」は正式に修二会しゅにえと言い二月堂本尊十一面観音に対してもろもろの罪や過ち懺悔し国家安泰人々の幸福を祈る行事である。二月堂内陣には大観音(おおがんのん)、小観音(こがんのん)と称する2体の十一面観音像安置されるが、いつの時代からか両方の像とも厳重な秘仏とされ、「お水取り」の行事執り行う寺僧もこれらの像を目にすることはない。寛文7年1667年)の二月堂火災の際に損傷した大観音の光背のみは別途保管され公開されている。この光背造で高さ226cmあり、破損激しいが、全面線刻多く仏菩薩の像が表されており、奈良時代制作考えられている。

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