絹本著色五聖曼荼羅図とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 文化 > 国指定文化財等データベース > 絹本著色五聖曼荼羅図の意味・解説 

絹本著色五聖曼荼羅図

主名称: 絹本著色五聖曼荼羅図
指定番号 2016
枝番 0
指定年月日 2005.06.09(平成17.06.09)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 絵画
ト書
員数 1幅
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文:  画面中央多角形華麗な台座上、白蓮華坐す毘盧遮那びるしゃな如来手前右に金色獅子乗る文殊菩薩、左に白象乗る普賢菩薩、主尊の後方右に蓮華坐す弥勒菩薩、左に観音菩薩を描く。
 本図特異な図像成立については、明恵みょうえ】(一一七三~一二三二)の関与指摘される毘盧遮那如来以外の四菩薩については、彼の著作華厳仏光三昧秘宝ぶつこうざんまいかんひほうぞう】』(承久三年一二二一〉)において毘盧遮那如来眷属けんぞく】とされている。また、特異な印相をなす如来の姿は、同じく華厳仏光三昧秘宝』に「唐本善知識中尊図」に倣った像容として現れる図像同じくする毘盧遮那如来中国南宋時代飛来峰【ひらいほう】「華厳仏会像【ぶつえぞう】」中に認められ、宋仏画に基づく新し図像であったことが知られる他方着衣蓮華座白色銀泥によって彩る感覚は、明恵護持した高山寺所蔵絹本著色仏眼仏母像昭和二十六年六月九日指定国宝)を彷彿させる。
 文殊普賢菩薩図像南宋時代絹本著色釈迦三尊像神奈川建長寺明治三十二年八月一日指定重文)の脇侍菩薩一致するものであり、同じく仏画倣った可能性が高い。未敷蓮華執る観音胎蔵界曼荼羅などに多く見られる姿であり、弥勒は塔をのせた蓮華執るが、塔を五輪塔とする点が注意される
 『高山寺縁起によれば明恵示寂直前寛喜四年(一二三二)供養高山寺三重塔内にこれらの五尊の彫像安置されていたことが知られる。また高山寺学問所には「毘盧遮那五聖曼荼羅一鋪、成忍筆、最後本尊云々」があり、『高山寺明恵上人行状』から明恵臨終の際には「五聖曼荼羅」を枕元懸けたことが知られるこのように本図図像同じくする作例彫像画像として明恵身近にあったことは明らかである。
 他方本図様式は、鎌倉時代前半高山寺周辺制作されたと目される高山寺所蔵絹本著色華厳海会諸聖衆曼荼羅図昭和十三七月四日指定重文)などの諸作品とは異なる風を示す。また菩薩の裳の衣紋顕著な画風写し崩れ画一的文様表現などから、本図制作は、明恵示寂後の鎌倉時代後期ころまで下るものとみられるしかしながら本図は、宋代仏教絵画蓄積学習され往時高山寺のさまを知るための貴重な作例あり、か明恵創案五聖曼荼羅図の姿を偲び得る数少ない作品である。また、五聖曼荼羅図図様自体あまり流布しなかったものとみられ、本図制作にも明恵法脈連なる人びとによる何らかの機縁があったものと想像される本図鎌倉時代遡る五聖曼荼羅図貴重な作例であり、わが国宗教文化史上占める意味も大きい。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「絹本著色五聖曼荼羅図」の関連用語

1
12% |||||

絹本著色五聖曼荼羅図のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



絹本著色五聖曼荼羅図のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
文化庁文化庁
Copyright (c) 1997-2024 The Agency for Cultural Affairs, All Rights Reserved.

©2024 GRAS Group, Inc.RSS