こうはく‐うたがっせん【紅白歌合戦】
紅白歌合戦(こうはくうたがっせん)
12月31日にNHKで放送される。2000年で51回目を迎える。おおみそか恒例の歌番組だ。男性歌手が白組、女性歌手が赤組に分かれて、歌合戦を繰り広げる。過去の成績は、赤組白組ともに、25勝25敗だ。
紅白歌合戦は、第1回目の放送が1951年だ。このときは、まだラジオ放送だった。テレビで中継されるようになるのが、その3年後の1953年からだ。
1964年には、紅白のカラー放送が始まった。この年は、東京オリンピックが開催されたので、カラーテレビが大幅に普及した年でもある。同じころ、紅白歌合戦の視聴率は80%を超え、国民的な超人気番組になった。
1989年には、番組構成が、第1部と第2部に分けて放送されるようになった。第1部には、若い歌手が重点的に出演する。第2部には演歌歌手などが出演する。この理由は、特に、未成年者の歌手は夜11時以降の出演ができない、ということがある。
紅白は、近年も50%台の高視聴率を保っている。2000年初出場するのは、花*花「あ~よかった」や小柳ゆき「あなたのキスを数えょう」など、13組だ。また、2000年の出演者の中で出場回数が多いのは、北島三郎…37回、森進一…33回などだ。
(2000.12.31更新)
NHK紅白歌合戦
紅白歌合戦
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1983年 - 1985年に『NHK紅白歌合戦』で白組司会を務める。ただ鈴木はこれまで音楽番組と縁がなく、紅白も視聴したことがなかった(ただし、1980年に応援ゲストとして出演歴はあり)。さらに歌手も歌も知らず、カラオケで歌ったこともないという。1974年 - 1982年まで9年連続で白組司会を務めた後輩の山川静夫に代わっての抜擢であった。先輩である鈴木に白組司会を譲ることになった山川は大変ショックを受け、当時鈴木と山川が不仲になったとも伝えられている。1984年の紅白では「総合司会に山川を再登板させる方向でギリギリまで調整されたが、上記の件を理由に山川が固辞し、生方惠一(鈴木の後輩且つ山川の同期)が1982年以来2年ぶりに再登板する運びになった」とも報じられた。 予定を正確に把握し、ほとんどの台詞を台本なしで行い、歌手毎によって衣装を替えるという、それまでの歴代白組司会とは一線を画す司会ぶりは話題となった。しかしこのスタイルに対してはアナウンサーとしては行き過ぎであるとの批判も少なからずあった。1983年は紅組司会の黒柳徹子に対しては目の敵のような存在であった。オープニングでは「アラレちゃん」や番組中に変装を何回もすることから「怪人十二面相」などとそして、番組終了間近には「来年はあの紅組が勝たせて頂きますが、今年は白組が勝ったので本当に大きな気配りでした(『気くばりのすすめ』の著者の)。」などと皮肉を言い合う程の不仲の演出であった。 翌1984年には、紅組司会の森光子に対しては互いに衣装や司会ぶりをお世辞ととれる程に称賛し合った。ちなみに、この両軍司会は過去最高齢である。都はるみに対しアンコールを希望する際に、「私に1分間時間を下さい」と発言する(詳細は『第35回NHK紅白歌合戦』の項を参照)。その翌1985年は白組初出場のC-C-Bの笠浩二のヘアスタイルを真似ることで視聴者から顰蹙を買い、これを最後に白組司会を退くこととなった(この他にも、制作現場に対しても容赦ない介入を行い、スタッフからの反発を招いたことや、視聴率が大幅にダウンしたことも3年で交代となった理由とされている)。奇しくも1986年の大晦日は自身の母親の葬儀の日となった。 当時56歳だった1985年における最後の白組司会は白組司会の最年長記録となっている。ただし、男性司会者としての最年長記録は第56回(2005年)の当時61歳のみのもんたとなっている。
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紅白歌合戦
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第58回NHK紅白歌合戦 (2007年12月31日、NHK) 坂本冬美の応援として演舞。 第59回NHK紅白歌合戦 (2008年12月31日、NHK) 藤あや子の応援として演舞。 第60回NHK紅白歌合戦 (2009年12月31日、NHK) 伍代夏子の応援として演舞。
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紅白歌合戦
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1981年に「みちのくひとり旅」で紅白初出場の知らせを受けたのは、『新春オールスター大運動会』の収録現場で山本たちが騎馬戦をしている時だった。山本の紅白初出場を伝える新聞記事には、騎馬の上に乗ってガッツポースをする写真が使われたという。紅白当日の出番直前、同じく出場した北島三郎から舞台袖で「紅白初出場の喜びを噛みしめるよりも、去年まで出られなかった悔しい気持ちを忘れるな」と声をかけられたという。 1985年まで連続出場した後、1986年に初めて紅白落選がマネージャーから電話で告げられた時は、「紅白に戻れるよう来年頑張るから!」と返した。日本にいるとどうしても紅白を意識するため、その年は妻を連れて年末年始をハワイで過ごした。1987年に紅白に復帰したが翌年から再び落選が続き、「絶対に紅白に復帰するんだ」との思いで頑張り、1994年に復帰した。 1996年には、木梨憲武とのユニット「憲三郎&ジョージ山本」として紅白に出演。本番では、同じく出演した北島から「今年の紅白はお前たちの紅白だ!」と言われ、山本は後年「この年の紅白が一番楽しかった」と評している。後年これまでを振り返り、「紅白に6回落とされて、5回復帰できたのは山本譲二だけじゃないかと誇りに思っています」と述べている。
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紅白歌合戦
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「小野満とスイングビーバーズ」の記事における「紅白歌合戦」の解説
1967年 第18回NHK紅白歌合戦 - 白組演奏 1968年 第19回NHK紅白歌合戦 - 紅組演奏(前半のみ) 1969年 第20回NHK紅白歌合戦 - 紅組演奏(後半のみ) 1970年 第21回NHK紅白歌合戦 - 紅組演奏 1971年 第22回NHK紅白歌合戦 - 白組演奏 1972年 第23回NHK紅白歌合戦 - 白組演奏 1973年 第24回NHK紅白歌合戦 - 白組演奏 1974年 第25回NHK紅白歌合戦 - 白組演奏 1975年 第26回NHK紅白歌合戦 - 白組演奏 1976年 第27回NHK紅白歌合戦 - 白組演奏 1977年 第28回NHK紅白歌合戦 - 白組演奏 1978年 第29回NHK紅白歌合戦 - 白組演奏 1979年 第30回NHK紅白歌合戦 - 白組演奏 1980年 第31回NHK紅白歌合戦 - 白組演奏 1981年 第32回NHK紅白歌合戦 - 白組演奏 1982年 第33回NHK紅白歌合戦 - 白組演奏 1983年 第34回NHK紅白歌合戦 - ステージ演奏、これが最後の紅白歌合戦での演奏となった。
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紅白歌合戦
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1985年屈指の注目曲であり、当然ながら「NHK紅白歌合戦」出場も有力視されていたが、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}当時の女性誌の紅白出場歌手予想コーナーにて、歌詞の中に「レーザーディスク」という実在の商品名や、警察官を「おまわり」と表現している事が問題視され、「『レーザービデオ』などに歌詞を変えたらどうか?」と提案されたが、吉が、年末年始は家族サービスをしたい意向があったのと「歌詞を変えてまで出る気はない」と拒絶している事が「関係者」のコメントとして報じられ[要出典]、第36回NHK紅白歌合戦の出演はなかった。
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紅白歌合戦
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2010年の第61回NHK紅白歌合戦に、「おかあさんといっしょ」出演者と共に主役3キャラクター(ライゴー、スイリン、プゥート)が出場し、「ドコノコキノコ」のダンスを担当した。
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紅白歌合戦
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「にくまれそうなNEWフェイス」の記事における「紅白歌合戦」の解説
この楽曲でテレビ番組『第36回NHK紅白歌合戦』(1986年、NHK)に初出場したが、一説ではこの出演時にトラブルを起こしたために、十数年間NHKからは締め出されてしまったとされているが、これは都市伝説で誤りという話もある(詳細は「NHK紅白歌合戦でのハプニング」を参照のこと)。
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紅白歌合戦
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「桑港のチャイナ街」の記事における「紅白歌合戦」の解説
渡辺は1951年の『第1回NHK紅白歌合戦』の紅組トリで表題曲を歌唱。以後も『NHK紅白歌合戦』では、1956年の『第7回NHK紅白歌合戦』、1964年の『第15回NHK紅白歌合戦』、1973年の『第24回NHK紅白歌合戦』(同回は特別出演)で歌唱された。 合田道人の著書では、1952年の『第2回NHK紅白歌合戦』でも紅組トリで歌唱されたと記されている(NHKの公式資料では「火の鳥」である)。
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「紅白歌合戦」の例文・使い方・用例・文例
- 毎年恒例の紅白歌合戦を見なければ年は越せない!
- 日本放送協会(NHK)が「紅白歌合戦」のための調査で上位15組を占めた歌手やグループを公表した。
- もうすぐ紅白歌合戦
- そろそろNHKの年末番組,紅白歌合戦の時期である。
- 今年の紅白歌合戦の初出場者
- NHKの紅白歌合戦には誰(だれ)が出場するのだろうか。
- NHKの年末番組「紅白歌合戦」で秋川さんがこの歌を歌った後,この歌は大ヒットし,CDの売り上げが急増した。
- 2007年をしめくくる紅白歌合戦
- 年末が近づき,NHKの毎年恒例の番組「紅白歌合戦」がまもなく放送される。
- 紅白歌合戦の出場者発表
- NHKは毎年恒例の年末の番組,紅白歌合戦に出場する53組の歌手やグループを発表した。
- ジェロはNHKの年末の音楽番組「紅白歌合戦」に初出場する。
- NHKは先日,第61回紅白歌合戦に出場する44組の歌手やグループを発表した。
- NHKが紅白歌合戦の出場歌手を発表
- 11月30日,NHKが毎年恒例の年末番組,紅白歌合戦の出場歌手を発表した。
- 愛菜ちゃんは「紅白歌合戦はおじいちゃん,おばあちゃんと見ていました。みんなに元気を与えられるようがんばります。」と話した。
- 紅白歌合戦の出場歌手が発表される
- 11月26日,NHKで毎年恒例の大みそかの歌番組「紅白歌合戦」に出場する歌手の顔ぶれが発表された。
- 紅白歌合戦の出場歌手発表
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