米空母艦載機による空襲計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 02:05 UTC 版)
「ドーリットル空襲」の記事における「米空母艦載機による空襲計画」の解説
1941年(昭和16年)12月上旬の真珠湾攻撃以降も太平洋戦争の緒戦で、アメリカ軍は苦戦を強いられる。すでに述べたように、日本軍潜水艦によるアメリカ本土攻撃も、国民の士気に影響を与えた。この様な状況を受けて、アメリカ軍は士気を高める方策として日本の首都東京を攻撃する計画を立てた。後にドーリットルも「日本本土への空襲は、日本国民の心に混乱をもたらし、日本の指導者への疑念を抱かせ」「アメリカは士気を高める必要があった。」と自伝で述べている。 しかし、当時アジア太平洋の各地域で敗退を続けていたアメリカ海軍の潜水艦は警戒の厳しい日本本土を砲撃することのみならず、近付くにも大きな危険が伴うために、海軍艦船による砲撃は行えないと考えられた。なお、アメリカ海軍は日本海軍のような潜水艦搭載偵察機とそれを搭載する大型潜水艦を実用化していなかった。アメリカ陸軍航空軍は長距離爆撃機を保有していたものの、その行動半径内に日本を収める基地は無く、ソ連の領土は日ソ中立条約のため、爆撃のための基地使用は行えなかった。アメリカ海軍の空母艦載機は航続距離が短く、爆撃のためには空母を日本近海に接近させる必要があり、これは太平洋上で唯一動ける空母機動部隊が危険に晒されることを意味した。 ルーズベルト大統領は、真珠湾攻撃から2週間後の時点で、海軍に日本本土空襲の可能性を研究させていた。1941年12月21日のホワイトハウス会議でルーズベルト大統領はアメリカ統合参謀本部に対し米国民の士気を高めるためにも可能な限り早く日本に爆撃すべきだと要求した。1942年(昭和17年)1月、海軍作戦部作戦参謀フランシス・S・ロー海軍大佐(潜水艦出身)は空母ホーネットの状況を確認した際、「航続距離の長い陸軍航空軍の爆撃機を空母から発艦させ、日本本土を爆撃する」というプランを思いつく。ロー大佐は、造船所視察のために滞在中だったアーネスト・キング提督にアイデアを説明。ロー大佐は、さらに航空作戦参謀ドナルド・B・ダンカン海軍大佐に報告した。アイデアはアーネスト・キング提督からヘンリー・アーノルド陸軍航空軍司令官に伝えられ、アーノルドはジミー・ドーリットル中佐を任務の指揮官に選んだ。艦載する爆撃機としてB-18、B-23、B-25、B-26が候補に挙がったが、B-18は航続力、爆弾搭載量共に不十分、B-23は全幅が長く艦橋部を通過できない、B-26は離陸距離が足りないといった問題があったため、条件をクリアしたのはB-25のみであった。 選定されたB-25のうちB型から24機が本作戦用に改修されることになり、1月22日から作業に入った。部隊は第17爆撃隊(第34、第37、第95爆撃中隊、第89偵察中隊)から志願者を選別した。長距離飛行が要求されるため、燃料タンクを大幅に増設した。爆弾槽内や無線士席の脇にも燃料タンクが設置され、下部銃塔も撤去してタンクの設置場所に充てていた。機密保持のため任務の性格上必要ないと判断されたノルデン爆撃照準器を取り外し、代わりに11番機機長チャールズ・ロス・グリーニング大尉発案の“Mark Twain”と呼ばれたアルミ製簡易照準器が搭載された。爆撃の様子を記録するため機体尾部に撮影機材が搭載された一方で尾部銃座は撤去され、木製の偽装銃身に交換された。着陸地点が未定だったためソ連に向かうことを想定して機体には防氷ブーツが装着され、作戦中は無線封止となるため無線機類は撤去されている。使用する爆弾は通常の500ポンド爆弾1発とTNTとアマトール混合の500ポンド特殊爆弾1発、焼夷弾128発を束ねたM54集束焼夷弾2発、計4発であった。 2月1日、ノーフォーク沖でジョン・E・フィッツラルド海軍大尉とジェームス・F・マッカーシー海軍大尉がB-25Bをホーネットから発進させることに成功した。4月1日、16機がサンフランシスコ・アラメダ埠頭で空母ホーネットの甲板にクレーンで搭載された。陸軍航空軍爆撃機の空母からの発艦は実戦では初であり、この作戦の詳細はルーズベルト大統領にさえトップシークレットとされた。また任務終了後は空母に帰投・着艦するのではなく、日本列島を横断して当時、日本軍と戦争中であり、連合国軍の主要構成国の1国であった中華民国東部に中華民国国軍の誘導信号の下で着陸する予定となった。蔣介石(中華民国総統)自身は日本軍の報復を恐れて着陸の延期を執拗に要請しており、また中華民国軍飛行場への誘導電波発信機設置は間に合わなかった。アメリカ軍はウラジオストクを避難場所とすることを検討してソ連に提案したが、日本と中立条約を結んでいた同国は拒否した。B-25を搭載する空母はホーネットとされ、姉妹艦のエンタープライズが護衛に付くこととなった。
※この「米空母艦載機による空襲計画」の解説は、「ドーリットル空襲」の解説の一部です。
「米空母艦載機による空襲計画」を含む「ドーリットル空襲」の記事については、「ドーリットル空襲」の概要を参照ください。
- 米空母艦載機による空襲計画のページへのリンク