米空母機による第一次ラバウル空襲とは? わかりやすく解説

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米空母機による第一次ラバウル空襲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/17 18:00 UTC 版)

ろ号作戦」の記事における「米空母機による第一次ラバウル空襲」の解説

詳細は「ラバウル空襲#11月5日空襲」を参照 タロキナへの逆上支援のため、トラックから第四戦隊第七戦隊第八戦隊第二水雷戦隊基幹とする部隊栗田部隊)が5日ラバウル進出することとなったが、栗田部隊前日朝には米軍発見されその後ラバウル入港まで触接をうけた。この結果栗田部隊ラバウル到着ののち、燃料補給を受け14時出撃予定であったものが、米空母機の空襲を受けることになってしまった。この日920分頃に来襲した部隊第38任務部隊シャーマン隊)の空母サラトガプリンストンから発進した艦載機であり、出撃可能な艦載機全てである97機による空襲であり、この結果空母格納庫損傷機を除いて空になり、そのためソロモン航空部隊から上空警戒機が派遣された。 シャーマン出撃機の内訳F6F戦闘機SBD艦上爆撃機TBF艦上攻撃機サラトガ332216プリンストン19機 - 7機 計522223機 この思い切った兵力集中功を奏しシンプソン湾内の9隻の巡洋艦駆逐艦被弾損傷した。この空襲対し一航戦から零戦47機、基地航空部隊から零戦24機、五〇一空の彗星5機が邀撃し、零戦5機、彗星1機を喪失したまた、シャーマン隊の援護のため、米陸軍のB-24爆撃機27機(ドボデュラ基地から発進)、P-38戦闘機67機(ウッドラーク基地から発進)がラバウル襲った地上日本軍機の姿はなく、市街地港湾地区などを爆撃したがほとんど被害はなかった。なお、栗田部隊重巡5日から8日にかけトラック帰投した。米軍艦爆艦攻など10機を失った

※この「米空母機による第一次ラバウル空襲」の解説は、「ろ号作戦」の解説の一部です。
「米空母機による第一次ラバウル空襲」を含む「ろ号作戦」の記事については、「ろ号作戦」の概要を参照ください。

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