米空母機による第一次ラバウル空襲
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「ろ号作戦」の記事における「米空母機による第一次ラバウル空襲」の解説
詳細は「ラバウル空襲#11月5日の空襲」を参照 タロキナへの逆上陸支援のため、トラックから第四戦隊、第七戦隊、第八戦隊、第二水雷戦隊を基幹とする部隊(栗田部隊)が5日ラバウルに進出することとなったが、栗田部隊は前日朝には米軍に発見され、その後ラバウル入港まで触接をうけた。この結果、栗田部隊はラバウル到着ののち、燃料補給を受け14時に出撃予定であったものが、米空母機の空襲を受けることになってしまった。この日9時20分頃に来襲した部隊は第38任務部隊(シャーマン隊)の空母サラトガ、プリンストンから発進した艦載機であり、出撃可能な艦載機全てである97機による空襲であり、この結果両空母の格納庫は損傷機を除いて空になり、そのためソロモン航空部隊から上空警戒機が派遣された。 シャーマン隊出撃機の内訳F6F戦闘機SBD艦上爆撃機TBF艦上攻撃機サラトガ33機 22機 16機 プリンストン19機 - 7機 計52機 22機 23機 この思い切った兵力の集中は功を奏し、シンプソン湾内の9隻の巡洋艦、駆逐艦が被弾損傷した。この空襲に対し、一航戦から零戦47機、基地航空部隊から零戦24機、五〇一空の彗星5機が邀撃し、零戦5機、彗星1機を喪失した。また、シャーマン隊の援護のため、米陸軍のB-24爆撃機27機(ドボデュラ基地から発進)、P-38戦闘機67機(ウッドラーク基地から発進)がラバウルを襲ったが地上に日本軍機の姿はなく、市街地や港湾地区などを爆撃したがほとんど被害はなかった。なお、栗田部隊の重巡は5日から8日にかけトラックへ帰投した。米軍は艦爆、艦攻など10機を失った
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